憑依

花
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127

 時間はまた少し溯る。
 田村はここにたどり着くまでにへとへとになった。清めるといって、僧侶がずいぶん長く感じられる時間をかけて柱や鴨居にお札を貼り、玄関前で読経をした。
 中にあがると、仲間がみな死んでいた。予想したことだが、あまりのことに茫然となった。それでも力を振り絞って、僧侶と青年とともに二階にあがった。広い座敷から獣のうめき声が聞こえた。襖をあけると、大猫が二匹(二頭)、血だらけの口をあけて振り向いた。飛びかかってきたが、僧侶が錫杖(しゃくじょう)を振りあげると勢いがなくなった。青年は必死になって化け猫を説得しようとした。わたしはばかばかしいと思ったが黙って聞いていた。しかし、化け猫は大人しくなり、人間の女に姿を変えた。そのうちに青年がなにかを投げた。木の小片のようだったが、あとできいたら、神に奉納した木天蓼(またたび)なのだという。木天蓼の効果はあった。女は畳に背中をすりつけて、もだえた。木天蓼をなめながら丸くなるうちに、心なしか小さくなった気がした。いや、気のせいではなかった。ただのシャム猫に変わってしまっていた。青年は、ずだ袋のようなものを猫にかぶせた。しばらく袋の中で動いていたが、そのうちに動かなくなった。僧侶が絹糸を編んだ縄で口を結ぶと、それは一抱えの大きさになった。
 もう一匹(一頭)のほうは窓から逃げてしまったようだった。自分たちはこのシャム猫のほうに気を取られ、うかつなことに、誰一人もう一匹(一頭)の動きに気づくことができなかった。
 そのとき、押し入れの穴のあいた襖からむきだしになったふとんがもぞもぞ動いた。わたしは緊張して、拳銃を向けた。やがて血だらけの生首が転げでてきたように見えた。部下たちが照明を集中させた。髪を振り乱し真っ赤に上気した男の顔だった。鼻の穴からどろどろ血が流れ、口をあけるたびにゴボゴボ血を吐いた。思わず撃とうとすると、僧侶にとめられた。
「撃ってはいけません。どうやら生存者のようです」
 そのときやっと、今泉との通信を思いだした。布団をしまっている押し入れの中に佐久間という刑事といっしょに隠れていると言っていた。今泉には見えないから、きっと佐久間という京都府警の刑事だろう。
 何度か呼びかけ、名前を確認すると、彼はうなずいた。やっぱり佐久間刑事だった。
「おい、救急隊を呼べ」田村は部下に大声で指示した。
「大丈夫です」佐久間は断ったが、救急隊員に囲まれ、有無を言わさず、担架に乗せられた。
 運びだす直前に田村が近寄った。気まずそうな顔をした。
「佐久間巡査長、こんなときに言いづらいが、化け物のことは口外しないでくれますか」
 佐久間は疲れすぎていて、抗議する気力もなかった。
「警部補、承知しております。熟練した暴徒に不意を突かれたんです」
「すまん……」
 もう担架は進んでいた。佐久間の憔悴ともやりきれなさともつかない表情が田村の胸を痛めた。田村はしかしどうしようもないと自分に言い聞かせた。こんなことを誰が理解してくれよう。誰もが、理解し納得できる話を求めているのだ。自分はなんとかして理解できる報告書を作成しなければならない。こういう事態に対処しなければならなくなった偶然を、田村は恨んだ。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日