憑依

花
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「すぐに梅田駅に行きましょう」
「えっ、なんでまた梅田なんかに?」武一郎が言った。
 豊雄の「ひゅっ」と息を吸いこむ音がはっきり聞こえた。
「もしかすると、菜摘のおばあさんが乗り移った猫は、さっきの白猫だったのでしょうか」
「おそらくそうだと思います。あの白猫と優子さんがここで再び出会ったため、菜摘さんのおばあさまは、優子さんに再び移ったと考えられます。井上さんの話を聞き、憎んでいる男の居場所がわかったので、向かっているのではないでしょうか」
「座敷にいるあいだに、つかまえてしまえばよかったですね」
「まったくです」
 なかなかもどらないので様子を見にきた井上さんの娘夫婦は、事情を聞いて驚いた。正子も危なっかしい動作で階段をおりてきた。
「あっ」豊雄の声に西田が振り向いた。「つかまえたシャム猫は大丈夫でしょうか」
 西田は懐から袋を取りだした。猫が入っていることは外から見てすぐにわかった。
「大丈夫です。おそらく菜摘さんはこの世への未練がなくなったのでしょう。あとは供養をしてあげるだけだと思います。問題はおばあさまのほうです。よほど悔しかったのでしょうな。何十年たっても決して忘れることのできない憎しみというのは、きっと存在するのでしょう。何十年たっても、そのときのまま、まったく色あせないで頭に焼きついているのでしょうね」
 階段をおりきった正子が西田和尚の顔をじっと見つめた。
「和尚様、そうです。奥様はよくそのことをおっしゃっていました。何十年たっても、消えるどころか、かえっていっそう鮮やかに憎しみの炎が燃えあがっているのよ。たとえわたしが死んだって、この憎しみの炎が収まることはないの。まあちゃん、わかるかしら? 奥様は真剣な表情でわたしにそうおっしゃったのです。そのときの奥様のお顔はすごいぐらいに美しく、目が輝いていらっしゃいました」

 西田たちは辞去して車に乗りこんだ。梅田に到着するまではなにもできないので、西田は今後豊雄たちがしなければならないことをこまごまと話した。西田の寺院で猫を供養すること、菜摘と祖母の慰霊碑を新たに建立すること、寺に菜摘の祭壇をつくり、ロケットを安置すること、住吉神社にお礼参りすること、音無の滝の神にお礼参りすること。
 そうこうするうちに大阪の繁華街が見えてきた。西田和尚にいろいろと教えてもらった豊雄は、自分の弱い心にけじめをつけようと本気で思った。そして、自分の堅い決意をはっきり富子に伝えた。富子を悲しがらせることはこの先絶対にないと約束した。富子はもちろん不安は感じたが、女性に対して少し弱いところがあることを除けば、豊雄はいたって真面目で立派な男だということはわかっていたので、信じることにした。今回のことで彼もひどく懲りただろう。豊雄の姿勢にそう強く感じた富子は、行く末に少し希望を抱くことができるようになった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日