憑依

花
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 門扉がひらくと、家政婦は中へ促した。看護師が一歩足を踏みだしかけると、その足もとを素早くすり抜ける白い影があった。
「あらやだ。猫がお屋敷の中に入ってしまったわ」
 門番の男はすぐに追いかけたが、しばらくするとあきらめてもどり、家政婦に肩をすくめてみせた。
「いいわ。まあそのうちに出ていくでしょう」
 家政婦は看護師のほうを振り向き、ぎょっとしたような表情をした。看護師が公園のほうを向いて、憑かれたような目で一人の女子高生を見つめていたのだ。その看護師の様子が家政婦にただならぬ感じを与えた。
「どうしたの?」
「はい、こんな時間になんであの子、公園になんかいるのかしらと思っていたんです。しかも、雨に濡れて……」
 家政婦も公園のほうを見た。霧のような雨の中、制服を着た女子高生がベンチに座ってこっちをじっと見ている。彼女はなんとなく薄気味が悪くなった。
「入りましょう」
 看護師を促し、家政婦はそそくさと門扉の中に入った。看護師もすぐあとを追った。なぜか彼女の口もとに、微笑みとも皮肉とも取れるような笑顔が浮かんだが、誰も気がついたものはなかった。

 広大な邸宅の前に車をとめると、武一郎たちはいかめしい門の前で立ちどまった。雨脚が時とともに強さを増していた。
「しかし、最近、雨がよく降るな」
 武一郎の声にみな同時に反応した。
 富子は屋敷の前にある児童公園にふと目をとめた。なにか視界に不自然さを感じて、そこを見ずにはいられないといったほうが正確だった。
 そぼ降る雨の中を、ひとりの女子高生が、制服のままベンチに伏せていた。スカートに雨がすっかり染みとおり、太ももにはり付いているのがはっきりわかった。
「優子ちゃん!」
 その声で豊雄が振り向いたとき、富子はもう道を横ぎっていた。ベンチの水分をハンカチでぬぐい、腰かけると、富子は優子を抱き起こした。
「優子ちゃん、優子ちゃん」
 男たちも近寄ってきた。富子があり合わせのもので優子の髪や衣服を拭きとっていると、やっと優子は気がついた。
「あ、リっちゃん。……ここはどこなの?」
 富子はかいつまんでいきさつを話した。優子はそば屋にいるときの記憶が途中から失われていた。
「気分はどう?」
「うん、もうすっかりええよ。なんか、久しぶりの爽快感だわ」
 本当にそのとおりみたいだった。血色もよく、優子本来の溌剌さが全身にみなぎっている感じがあった。
 体のほうはそれほど濡れていなかった。スカートはまだよく乾かないが、雨に濡れていた時間は短かったし、くすの大木に守られて、上半身は思ったより濡れていなかった。富子は首や背中、肩、胸を拭きながら、十代の娘の熱い体温と息づかいを感じた。
 小雨に濡れながら豊雄は西田和尚に言った。
「さ、早く、中村さんを助けに行きましょう」
 西田はよく剃りあげた頭頂部の水を木綿で拭いた。目は優子の体を貫きそうなほど強かった。しばらくじっと見ているので、豊雄と武一郎は黙っていた。再び頭頂部を覆い尽くした雨粒を木綿でぬぐうと、西田は静かに言った。
「その必要はないのかもしれません」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 憑依
◆ 執筆年 2011年8月20日