豹陣
-中里探偵事務所-

探偵
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 ショーケースの紙袋におがくずが詰められている。板前が手を入れると、車海老がほっそりしたはさみを広げて威嚇する。海老がおがくずをはねらかしながらまな板に運ばれる。頭をちょいと叩かれるとすぐに動かなくなる。手際よく尾を切り離す。つるつる殻がむかれ、背わたが除かれる。筋を切る。揚げたときに丸まらないためだ。
 天麩羅屋には二種類ある。揚げたそばから一品ずつ出す店と、器にすべて盛りつけて客席に運ぶ店とである。前者は少ない。「あをやぎ」はその少ない側に入る。
 二、三週間に一度の割合でやってくる会社員風の三十前後の男が傾けた青磁の片口(かたくち)に、酒の滴が光った。
「マスター、冷酒もう一杯頂戴」
「今度は何にしますか」
 店の主人は真っ白いお手拭で手をふいて、冷蔵庫から一升瓶を三本出して、カウンターに並べた。主人が自分の足で探し回った日本酒である。どれも純米酒だ。
 群馬県前橋市にある柳澤酒蔵で造っている「桂川」。「桂川」には同じ純米で「結人(むすびと)」という銘柄もある。どちらも糯米(もちごめ)が少し入っているのが特徴で、まろやかな風味に仕立てられている。甘口なので好みのわかれるところだが、飲みやすい酒だ。
 それから青森県八戸市にある八鶴(はちつる)で造っている「八鶴」。八戸市の町中にあり、深さ百メートルから湧き出す井戸水を酒造りに使っている。石灰岩から湧き出す水はそのまま飲んでもおいしい。その水で造る純米酒は飲みやすく、「桂川」と甲乙付けがたい。「桂川」も井戸水を使っている。赤城南麓の伏流水だ。
「また結人もらうかな」
「はい」
 主人は料理人らしいさっぱりした声で返事をすると、冷蔵庫からよく冷えている青磁の片口を取り出した。既に出してあるのと同じ益子焼のものだ。そして、丁寧に結人をそそいだ。
 高校のときの同級生が陶芸家をやっている。そこの器だけというわけではないが、店にあるのは半分程度それである。
 主人、田部井譲は、完璧主義で凝り性だ。調度からはじめて器や食材に至るまで質のいいものをそろえている。
 壁面には睡蓮と香菫(すみれ)を描いた軸が掛かっている。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 豹陣-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2015年8月