豹陣
-中里探偵事務所-

探偵
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 譲がこの伊勢宮通りに店を出したのは二年前だ。彼は裁判官の息子で、宇都宮高校を卒業し、慶応大学の法学部に進んだ。そのときには、彼自身も父親も法曹界を目指すものと思っていた。ところが、彼は四年生の途中で突然司法試験受験をやめると言いだした。
 司法試験と一口に言っても、実際に受ける試験は三段階に分かれている。短答式試験と論文式試験と口述試験だ。最も現在は制度が変わったので、譲のときとは違うが、複数回の試験を突破しなければならない極めて難しいものであることには変わりがない。短答式試験は五月、論文式試験は七月に行われる。
 実は彼は論文式試験までは受けている。しかも、好成績で突破している。それなのに口述試験に出席しなかった。自信がなかったのではない。
 彼は四年生になってまもなく、短答式試験が近づいたころ、一人で悩み始めた。
 父親のように裁判官として一生を送るのは名誉なことだろうし、経済的にも余裕を持てるだろう。しかし、どうしてもあきらめられない夢がある。やっぱり料理人になりたい。
 彼は小さいころ、母親が里芋でも筍でも、とにかくどんな食材でも、いつのまにかきれいで美味しいおかずに変えてしまうことが、見ていて面白くて仕方なかった。そのうちに母親に頼んでいろいろな料理を教えてもらった。
 母親の悦子は結婚する前、京都の料亭で働いていた。
 中学卒業後すぐに滋賀の近江八幡から京都に出て、初めの二年は舞妓をやっていた。あちこちの料亭に呼ばれて廓の世界にも慣れていくうちに「近江や」という料亭の女将(おかみ)に気に入られ、公休日などには、花嫁修業代わりという名目で、料理を教えてもらっていた。もっとも教えてくれたのは板前さんだったが、女将にはいろいろと相談に乗ってもらっていた。おとなしく真面目で優しい性格の悦子は、舞妓にそれほど向いているわけではなかった。むしろ、図書館司書とか動物園の飼育係のほうがずっと合っていただろう。父親の稔(みのる)と知り合ってからは、かなり心配され、舞妓をやめるよう、ことあるごとにほのめかされた。なってみたものの自分に合わなくて悩んでいた舞妓を思い切ってやめる決心がついたのは、稔と出会うことができたからだと悦子は今でも思う。「近江や」の女将が仲居として雇ってくれるという幸運にも後押しされた。そういうわけで、出会ってから四年後に稔と結婚するまではずっと、「近江や」で働いていたのである。その間は、厨房でもかわいがられ、板前さんたちからかなり本格的に料理を教えてもらうことができたのだ。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 豹陣-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2015年8月