豹陣
-中里探偵事務所-

9
二人の苦境を救ったのが譲の父だった。足利駅前に俺が持っている空き店舗を譲ってやるから、そこで独立してみたらどうか、と譲に持ちかけた。
老舗で第一の包丁人になることを目指していた譲は、初めはまったく乗らなかったが、よくよく考えて、自分の力一つで新しい場所を開拓するのも面白そうだと思うようになった。
そういう次第で、「あをやぎ」は二年前に出帆したのだった。
しかし、経営状態は決してよいわけではない。閑古鳥が鳴いているというのではないが、十分な利潤が出るほどの客は入らない。選(よ)りすぐられた食材で作られた料理は好評なのだが、いくぶん値段設定が高めだ。ちょっと気軽に、しかも頻繁に食事できる店ではない。東京や京都ならいざ知らず、北関東の小都市には不釣合いかもしれない。
そんな状況でも謙は食材の質を落として、安くて気楽に食事ができる店にするつもりはない。京都の老舗料亭で修行をしてきたという自負もあるが、本来の性格によるところが大きいだろう。
だから、利潤が出るどころか、常に赤字経営である。土地も建物も自分の所有だからまだよかった。リース料も支払わねばならなかったとしたらとっくに店をたたまざるを得なかっただろう。最も効いたのが、最近になって息子の腕を認め出した父親の援助だった。いい仕事をする職人を保護することは我が国の公務員としての責務でもあるという理屈をこねて照れ隠しにしている。資産も相当に持っている父親に援助されて、いよいよ惜しみなく食材を選りすぐるようになってきた。譲の頭には「経営」などという言葉は少しも入っていなそうだった。
それでもこういう店を求める人もいる。そういう固定客がついて、なんとか店としての格好がついてきたところだ。
そうこうするうちに、栃木県内に本店を持つ全国展開のスーパーマーケットの社長をしている伯父が、時折得意先の客を連れてくるようになった。客の中には譲の味をいたく気に入って、他の客を連れてきてくれるものもいる。そんなこともあり、二年経った今では、少しずつではあるが、知る人ぞ知る、穴場的な店という評判が出始めているのも確かなことである。
しかし、譲はそんなこと一向に気にしない。彼は包丁を揮(ふる)えればそれで満足なのだ。週に二日の定休日は確実に休む。夜の九時には例外なく店を閉める。休みの日に都合をつけてくれないか、などとたまに懇願されても彼はきっぱり断る。よく休みを取り、体と心の状態を常に最高にしておくことが、よい料理を提供するために必要なのだと、周囲の二、三の者に語ったことがある。
老舗で第一の包丁人になることを目指していた譲は、初めはまったく乗らなかったが、よくよく考えて、自分の力一つで新しい場所を開拓するのも面白そうだと思うようになった。
そういう次第で、「あをやぎ」は二年前に出帆したのだった。
しかし、経営状態は決してよいわけではない。閑古鳥が鳴いているというのではないが、十分な利潤が出るほどの客は入らない。選(よ)りすぐられた食材で作られた料理は好評なのだが、いくぶん値段設定が高めだ。ちょっと気軽に、しかも頻繁に食事できる店ではない。東京や京都ならいざ知らず、北関東の小都市には不釣合いかもしれない。
そんな状況でも謙は食材の質を落として、安くて気楽に食事ができる店にするつもりはない。京都の老舗料亭で修行をしてきたという自負もあるが、本来の性格によるところが大きいだろう。
だから、利潤が出るどころか、常に赤字経営である。土地も建物も自分の所有だからまだよかった。リース料も支払わねばならなかったとしたらとっくに店をたたまざるを得なかっただろう。最も効いたのが、最近になって息子の腕を認め出した父親の援助だった。いい仕事をする職人を保護することは我が国の公務員としての責務でもあるという理屈をこねて照れ隠しにしている。資産も相当に持っている父親に援助されて、いよいよ惜しみなく食材を選りすぐるようになってきた。譲の頭には「経営」などという言葉は少しも入っていなそうだった。
それでもこういう店を求める人もいる。そういう固定客がついて、なんとか店としての格好がついてきたところだ。
そうこうするうちに、栃木県内に本店を持つ全国展開のスーパーマーケットの社長をしている伯父が、時折得意先の客を連れてくるようになった。客の中には譲の味をいたく気に入って、他の客を連れてきてくれるものもいる。そんなこともあり、二年経った今では、少しずつではあるが、知る人ぞ知る、穴場的な店という評判が出始めているのも確かなことである。
しかし、譲はそんなこと一向に気にしない。彼は包丁を揮(ふる)えればそれで満足なのだ。週に二日の定休日は確実に休む。夜の九時には例外なく店を閉める。休みの日に都合をつけてくれないか、などとたまに懇願されても彼はきっぱり断る。よく休みを取り、体と心の状態を常に最高にしておくことが、よい料理を提供するために必要なのだと、周囲の二、三の者に語ったことがある。