豹陣
-中里探偵事務所-

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といっても、譲にこの方面に関する興味が全くないわけではない。彼には司法試験を受けるかどうかで迷った過去がある。それだけではなく、刑事になってみたいという気持ちも、あるにはあったのである。それに、彼はミステリーが好きだ。ただ好きなだけではなく、読みながら、まるで刑事のように、ホワイトボードに事件の経緯を整理していくのだ。そして、大半は、犯行の方法や動機を当ててしまう。
亜沙子へのアドバイスも、交番勤務のときからずっとやってきている。それを亜沙子が可能な範囲で捜査に取り入れている。しかし、それにはおのずと限界がある。警察は組織として動かなければならないのであるから、当然のことである。その点に関しては、組織の一員である妻を咎めてもどうにもならない。
そこで、自分でも可能な範囲で調査できるように肩書きを作った方がいいのではないかと、譲は以前から思っていたのだ。天麩羅屋の主人じゃ、誰も調査に協力してくれない。とりあえず名刺でも作っておけば、いつか何かの役に立つこともあるかもしれない。そう思って、ちょうど数日前に名刺作成キットを調達したばかりだった。
「お忙しいところをすみませんねえ。この工場に持ち込まれたタイヤで少し調べたいことがあるのですが、担当の方からお話をお聞かせいただけますか」
「何か、事件に関係のあることなんですか」
「それはまだはっきりしないんですけど、事故を起こした車両のタイヤが運び込まれているらしいんですよね」
「いつ搬入されたものなのでしょうか」
「おそらく昨日か今日の午前中だと思います」
「だとすると、もう処理されてしまったと思いますけど、一応担当者を呼んでみますね」
「ありがとうございます」
「少々お待ちください」
女子事務員がくるっと踵を返すと、ふわっと長い髪が揺れた。柑橘系のさわやかな香りがしばらくそこに残っていた。
しばらくすると実直そうな年配の男性が現れた。一緒に歩いていた先程の事務員は譲に会釈をすると自席に戻り、パソコンの画面を見つめた。
「はじめまして、リサイクル部処分課で課長をしております、藤田と申します」両手で丁寧に名刺を差し出す。
譲はまた名刺を渡して、「中里です。お忙しいところ申し訳ありません」と丁重にお辞儀をして、先程の事務員に話したことを繰り返した。
まさかこんなにうまくいくとは思わなかったが、調査はとても順調に進んだ。処分課長の藤田哲也は、まるで警察から事情聴取を受けていると錯覚しているのではないかと見まごうばかりに恐縮していた。権威的な存在にめっぽう弱い日本人の悲しい性(さが)だろうか。
トヨタの営業所からタイヤを搬入したときの書類も見せてくれた。間違いなかった。
「一応処分されたタイヤも見せてもらいたいのですが」と頼むと、すぐに工場に案内してくれた。
「サーマルリサイクル。これは、最近急速に普及しはじめたリサイクル方法です」
藤田は歩きながら説明を始めた。
亜沙子へのアドバイスも、交番勤務のときからずっとやってきている。それを亜沙子が可能な範囲で捜査に取り入れている。しかし、それにはおのずと限界がある。警察は組織として動かなければならないのであるから、当然のことである。その点に関しては、組織の一員である妻を咎めてもどうにもならない。
そこで、自分でも可能な範囲で調査できるように肩書きを作った方がいいのではないかと、譲は以前から思っていたのだ。天麩羅屋の主人じゃ、誰も調査に協力してくれない。とりあえず名刺でも作っておけば、いつか何かの役に立つこともあるかもしれない。そう思って、ちょうど数日前に名刺作成キットを調達したばかりだった。
「お忙しいところをすみませんねえ。この工場に持ち込まれたタイヤで少し調べたいことがあるのですが、担当の方からお話をお聞かせいただけますか」
「何か、事件に関係のあることなんですか」
「それはまだはっきりしないんですけど、事故を起こした車両のタイヤが運び込まれているらしいんですよね」
「いつ搬入されたものなのでしょうか」
「おそらく昨日か今日の午前中だと思います」
「だとすると、もう処理されてしまったと思いますけど、一応担当者を呼んでみますね」
「ありがとうございます」
「少々お待ちください」
女子事務員がくるっと踵を返すと、ふわっと長い髪が揺れた。柑橘系のさわやかな香りがしばらくそこに残っていた。
しばらくすると実直そうな年配の男性が現れた。一緒に歩いていた先程の事務員は譲に会釈をすると自席に戻り、パソコンの画面を見つめた。
「はじめまして、リサイクル部処分課で課長をしております、藤田と申します」両手で丁寧に名刺を差し出す。
譲はまた名刺を渡して、「中里です。お忙しいところ申し訳ありません」と丁重にお辞儀をして、先程の事務員に話したことを繰り返した。
まさかこんなにうまくいくとは思わなかったが、調査はとても順調に進んだ。処分課長の藤田哲也は、まるで警察から事情聴取を受けていると錯覚しているのではないかと見まごうばかりに恐縮していた。権威的な存在にめっぽう弱い日本人の悲しい性(さが)だろうか。
トヨタの営業所からタイヤを搬入したときの書類も見せてくれた。間違いなかった。
「一応処分されたタイヤも見せてもらいたいのですが」と頼むと、すぐに工場に案内してくれた。
「サーマルリサイクル。これは、最近急速に普及しはじめたリサイクル方法です」
藤田は歩きながら説明を始めた。