豹陣
-中里探偵事務所-

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場面14
自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好(い)い加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた――森鴎外
『カズイスチカ』
JR足利駅北口の交番裏にある駐車場に車を置いて、神村美由紀は伊勢宮通りまで歩いた。
並木が少しあるぐらいで、この辺りには緑があまりない。夕闇に包まれた街を歩くのに、草木があるかないかなどそうたいして気にする必要もないとは思いながらも、つい緑の乏しさを思ってしまう。
だが、「あをやぎ」まで来ると、優しい灯りを浴びてつやつや光る庭木の葉が美由紀の心をほぐしてくれた。
格子戸をからからあけて暖簾をくぐると、「いらっしゃーい!」というさわやかな声が頭上から降ってきた。
田部井譲が隙のない着こなしで厨房に立っている。目もとに張りがあり、口もとが引き締まっている。この顔を見るといつも、美由紀は亜沙子がうらやましくなる。その亜沙子はすでにカウンターの奥の方に座っていた。美由紀が二人に挨拶をするのと同時に、亜沙子は右手を振った。
「美由紀、ねえ、これ見て」
亜沙子は、美由紀が腰かけるやいなや、カウンターテーブルの上に新聞を置いた。
《ひき逃げ事件、また迷宮入りか》
広げられた新聞の社会面の見出しを亜沙子がさすと、美由紀の表情は暗くなった。
《栃木県警は、ひき逃げと殺人両面の可能性があると見て、足利署と合同で捜査に当たっている。ひき逃げがあった時刻に、現場でいったん止まってすぐに走り去った車両について、いくつかの目撃証言を得ているが、登録番号の該当車両の持ち主からは、今のところ決め手になる事実関係は確認できておらず、捜査は長期化する見通しだ》
《捜査本部は、殺人の可能性も考慮しており、被害者の仕事関係を中心に、恨みを持っている者がいなかったかなど、捜査を進めている》
《県内では、九月に佐野市で起こったひき逃げ事件も未解決であり、栃木県警には、近隣の警察と連携したり、広域からも目撃情報を入手したりするなど、事件解決に向けたより一層の努力が求められている》
「そんなさあ、近隣の警察と連携とか、広域からも目撃情報を入手するとか、簡単に言うけどさあ、現場は大変なんだからねえ」
美由紀は眉をしかめた。
「手がかりがないわけじゃないんだけど、ブツって切れちゃうのよね」
亜沙子も悔しそうな顔をしている。
譲は涼しい顔で器を並べている。
「美由紀さん、何か飲みますか?」