豹陣
-中里探偵事務所-

探偵
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「じゃ、ウーロン茶をお願いします」
「今日は車ですか?」
「そうなんですよ。今度電車で来たときには、おいしいお酒を紹介してくださいね」
 譲はうなずいた。
「亜沙子は何を飲む?」
 譲は、店の中では、「亜沙子さん」と呼び、敬語を使うようにしているし、亜沙子も客の振りをしているが、今は二人のほかに客はいなかったから、その必要もない。
「私、いつもの」
「結人(むすびと)ね」
 譲は、業務用冷蔵庫から、冷えた片口(かたくち)と一升瓶を出した。
「新聞記者には、警察の実情はわからないんだから、あまり気にしないほうがいいよ」
「ありがと。でも、ひき逃げ事件が二つも未解決じゃ、批判されて当然だよね」
「九月の事件でも、ナンバーを見ていた人がいたんだよね」
「そう。その時も、目撃情報に従って、ナンバーの持ち主に事情聴取したんだけど、すぐに捜査が行きづまっちゃったの」

 九月十六日にそのひき逃げ事件は起こった。前方不注意によるひき逃げと推定し、ジョギングをしているときに事件を目撃したという男性に事情聴取した。田島裕一だった。彼は不動産会社の社員で、毎日夕方の六時三十分頃現場付近を通りかかる。その日もいつもと同じ時刻に通りかかったという。角を曲がると次の交差点にSUBがとまっていた。妙に慌ててドアを閉めるように見えた。彼は不審に思って、走りながらもその車の動きに注意を傾けた。車が発進すると、路上に人が倒れているのが見えた。彼はとっさに駆け寄ろうと思ったが、そのとき、ふと気がついて、走り去る車に視線を移した。ナンバープレートを確認しなければと思ったのだ。彼はその登録番号を記憶すると、路上にうつぶせている人に走り寄った。FBIドラマをまねして首筋の脈を指で触ってみた。感じない。数カ所試してみたが無駄だった。そこで、ポケットからスマホを取りだし、一一九番と一一〇番に通報した。
 田島から得られた情報はこれで全てだった。

「今日はお造りをサービスしておきますよ」
 飾らないが、それがかえって中身を引き立てるかと思わせる焼物に、五、六種の刺身が盛られていた。
「そんな! だめですよ。いつもそうやって高級なものをおまけしてもらっているんですから。その分のお金、今日こそは私、払いますよ」
「いや、いいんですよ。いつも家内がお世話になっているんですから、これぐらいのことはさせてくださいよ」
 美由紀は二、三度辞したが、礼を述べ、箸をつけた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 豹陣-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2015年8月