豹陣
-中里探偵事務所-

探偵
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 譲は刺身を盛りつけた焼物を三人の婦人のそれぞれの前にそっと置いた。
「うわ、おいしそうな魚、これなに?」
 女性陣はかわるがわる譲から魚の名をきいて、とろけるような身を口にふくんで、ため息をついた。
「ところで」
 譲はふと思いついたことを、思いきって口にだした。
「立ちいったことをおうかがいするようで気がひけるのですが、大塚さんの娘さんは、いまなにをしているのですか」
「私のうち、エレクトーン教室だから、ときどき娘に手伝わせているの」
「大塚さん、エレクトーンの先生なんですか。それはまたすごいですね。もしかして、こちらのお二人も先生をなさっているんですか」
「いえ、私たちは活け花仲間なの。今日はその集まりがありましてね」
 ツイードのジャケットを着た女性は譲から器を受け取った。
「その帰りに、大塚さんが、おいしい天麩羅屋さんがあるのよって誘ってくださったのよ」
「そうでしたか。それはご贔屓(ひいき)に、どうもありがとうございます」
 譲は海老をさばきながら、ちらっと昭子をみた。
「娘さんはエレクトーンを教えるのにとても忙しいんでしょうね」
「そんなことないわよ。暇でしょうがないんだから。でも、どうしてそんなこときくの?」
 譲は包丁を持つ手をとめて、顔を上げた。
「もしお時間がとれたらお手伝いしていただけないかと思うことがありまして」
「え? ちょっと、もしかして、このお店で雇ってくれるの?」
「まあ、そんなところです」
「もったいぶっちゃ、いやよ」
 譲は冷蔵庫からワインを取りだした。山梨のワインだ。足利市内の酒屋に入れてもらっている。
「いっても驚かないですか」
「まさか、おかしなサービスとかさせるわけじゃないでしょ」
「もちろん、ちがいますよ」
 譲がグラスにワインをそそぐ姿は、おかしなサービスという言葉とは、よほど距離があった。
 ほかの二人の女性は、その姿に見入っている。
「副業で私立探偵をしているんですが、一日だけお嬢さんに受付係の仕事をお願いできないかと思ったんです」
 昭子はこれに簡単に応じた。
「いいわよ」
 昭子はグラスから芳醇な香りの白ワインを喉(のど)に少し流す。
「へえー、日本料理のマスターが私立探偵もやってるなんて、おもしろいわね。でも、マスターなら似合うわよ。なんか、こう、名探偵って感じよ」
 譲は頭を軽く下げた。
 譲がなにをいいだすのかと、耳を澄ましてきいていた亜沙子は、驚いて口をはさんだ。
「だめよ、譲さん。娘さんになにかあったらどうするのよ」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 豹陣-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2015年8月