豹陣
-中里探偵事務所-

探偵
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 関はため息をついた。ドリンクホルダーからまたコーヒーをとって口に運んだ。
「それは、大変な災難に遭われましたね。お気の毒なことです。しかし、その事故と宮原直樹の件とはどうつながるのですか」
「私が車にもどって発進しかけたときに、建物の物陰から宮原がでてきたのです。やつは、私の職員章を目にして、トヨタの営業マンであることに気づいたのです。そして、インターネットで佐野周辺の営業所のホームページをみて、私を探しだしてしまったのです。ホームページにはわれわれスタッフの写真が載っていますからね」
 関はまた缶コーヒーを手に取り、ほとんど垂直になるまで傾けたが、中身は一滴ぐらいしかなかった。関は音を立てて缶をドリンクホルダーにもどし、搾(しぼ)りだすような声でいった。
「まもなく宮原が営業所に現われました。黒っぽい服を着て、サングラスをかけていました。その姿をよく覚えています。忘れようとしても忘れられません。私は悪魔が現れたとおもいました。宮原は女を連れていました。髪の長い女で、エルメスのバッグを肩にかけていました。宮原が横を向いてなにかいうと、女は笑いました。そんな細かいことまでがなぜか頭から離れないのです。宮原はプリウスの試乗をして、その日は帰りました。翌日、電話がかかってきて、相談があるといわれました。電話ではいいにくいからきてほしいというのです。断る理由もありませんでしたから、私はいきますと返事をしました。指定されたのは宮原の自宅ではありませんでした。スターバックスでした。スターバックスにいくと宮原が待っていました。席に着くと、宮原は新規に銀行口座を開設する気はないかとたずねました。私は聞き違いかとおもって、聞き返しましたが、宮原のいうことは前と同じでした。私はもちろんそんなつもりは毛頭ないとこたえました。すると宮原は、あなたのためになるとおもってそう提案したのだから、もう一度考え直したらどうかと、妙にひっかかるような調子でいいました。にやりと笑ってもみせました。私は顔をしかめながら立ちあがりました。宮原に背中を向けると、事故を見かけた人は情報を寄せてくださいと立て札が置かれていましたので、私も善良な市民として当然の義務を果たそうとおもいます、と私の背中に投げてよこしました」
 譲はなにもいわずにきいていた。関は譲がそこにいることも忘れたのではないかとおもうほどに、自分が遭遇したかなり珍しい事態について話すことに夢中になっていた。関の話の続きは次のようである。

 関はおもわず振りむいた。
「それは困ります」
「しかし、善良な市民としては見過ごすことができません」
 宮原はニヤニヤしている。いかにも楽しそうである。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 豹陣-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2015年8月