豹陣
-中里探偵事務所-

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「私は、その名簿に載っている電話番号にかけまくりました。しかし、宮原のマニュアル通りに勧誘しても、一向に契約は結べませんでした。なんの成果も挙がらないまま、約束の日が迫ってきました。私は仕方がないので、自分の定期を二百万円解約しました。もちろん家内には内緒です。宮原は足利市内のスーパーの駐車場を指定しました。事故現場の近くです。そこに車をとめてほどなく、宮原がスーパーから出てきました。レジ袋を片手にぶら下げていました。宮原は、自分の家族か知り合いの車に乗るような感じで、なんの不自然さもなく私の車の助手席に乗りこみました。宮原は袋から、ドーナツとコーヒーをだして、私に勧めました。『まるで警察の張り込みみたいですね』といって、彼は笑いました。あまり宮原の人物についてお話ししませんでしたが、彼は、その生業(なりわい)からは想像もできないほどきちんとしていて、気配りのよくできる男でした。また、ちょっとしたジョークで人を笑わせることもよくありました。話し上手な彼と話をしているうちに、自分のやっていることに対する罪悪感が薄らぐということもしばしばでした。そういう話し上手な彼と世間話をしているうちにすっかりドーナツも食べおわってしまいました。すると宮原は、『それで、作業の方は順調に進みましたでしょうか』と、とても優しい口調で切りだしました。私は、うまくいかなかったといって、宮原に謝りました。宮原は少しも怒りませんでした。素直に二百万円を受け取ると、私に通帳を渡しました。それは私が作った五つの通帳のうちの二つでした。そして、残りの通帳は残りの金を受け取ったときに返却するといいました。宮原は次の約束の日を告げました。それから、私が契約をとれない場合の計画を勧めました。私が大学時代の友人から借金を頼まれたというストーリーです。大学時代の友人が私の自宅にきて、私と私の妻の前で、三百万円を貸してくれないかと泣きつく話です。宮原が抱えている役者は、私の大学時代の友人を演じ、私の家を訪問するという設定でした。宮原は役者を何人か抱えていて、友人の役、警察官の役、弁護士の役など、必要に応じて使っているようでした。私はそれはありがたいと思いました。定期を三百万解約する理由を考えなくてすみますからね。それで私は、契約が取れそうもなかったら、お願いするかもしれないと、宮原に返事をしました。宮原は笑いながら助手席のドアを開け、簡単な別れの挨拶をして、車の外へ出ました。