豹陣
-中里探偵事務所-

探偵
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 宮原にいわれたことをぼんやり考えたあと、私は、車検で預かっているランドクルーザーを動かしました。タイヤがかなりすり減っていたので、お客様に交換を勧めた車でした。タイヤ交換は営業所にもどってからすることになっていました。ランドクルーザーはバンパーと地面とのあいだがかなりあいていて、少し大きな障害物ならたやすく乗り越えられます。これで宮原を轢いても、ボディーに傷はつかないだろうな。これは私の暗く悲しい経験からすでに実証されていました。タイヤに血痕がついても、交換したあと、すぐに処分すれば、証拠は残らないだろうな。私の頭の中で再び別の私がささやきました。しかしすぐに、そんな罪深いことは、冗談でも考えるのはよそうとおもい、首を強く振って、車のエンジンをかけました。スーパーの駐車場の出口を左折しました。少し走って、ゆるいカーブを曲がると、宮原の後ろ姿が見えてきました。私はどきっとしました。さきほどの罪深い冗談がすぐよみがえりました。それでも、まだそのときはそんなことをするつもりはまったくありませんでした。私の頭の中で誰かがいいました。まるで運命のように、よい条件がそろっているじゃないか。なにもしないで宮原の横を通り過ぎる手はないぞ。私は思わず周りのようすをうかがってしまいました。周りにはだれもいませんでした。夕闇であたりは薄暗く、私のすることは、あまり目立ちそうもありませんでした。私のまえを宮原が、狙われているのを知らない鹿のように歩いていました。魔が差すというのはこういうことをいうのでしょう。私はこのチャンスを逃すのはたしかに惜しいことだとおもいました。事故の証人と恐喝者と債権者をいっぺんに殺せるのです。唯一の証拠になるはずのタイヤも、それを隠滅する機会に恵まれているのです。私はもういちどあたりを見まわしました。車も自転車も通行人もまったくありませんでした。私は自分でも驚くほど冷静になっていました。宮原は私の車が近づくのにまったく気づいていませんでした。私は速度を落とさず宮原に突っ込みました。直前に宮原がうしろを振り向いて、恐怖におののくのがちらっと見えました。宮原はのけぞって、あおむけに倒れました。倒れると同時にランドクルーザーの大きなタイヤが宮原の体に鈍い音を立ててのしかかりました。私はそのときのタイヤの感触を覚えています。干し草を積み重ねたぬかるみに片方のタイヤが乗りあげて、すぐに平坦な道にもどっていくような感じでした。車体が傾いて、ゴットンという音とともに水平にもどりました。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 豹陣-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2015年8月