豹陣
-中里探偵事務所-

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場面25
合戦というものはさまざまな場面があり、派手な場面などはほんのわずかである。――司馬遼太郎
『坂の上の雲』
通郎は一ダースかそこらのカーブを過ぎてから、少し幅の広いところで車を左いっぱいに寄せて停めると、ハンドルを右いっぱいに切り返しながら、アクセルを調整してUターンしようとした。しかし、一度ではUターンできなかった。左のバンパーがガードレールいっぱいまで近づくと、ハンドルを素早く左いっぱいに切って、ゆっくりバックした。またハンドルを右に大きく切りながら前進すると、Uターンが完了したので、ハンドルを左にもどしながら、道路をまっすぐはしるように微調整する。
あたりは薄暗くなっていた。探偵の中里が横たわっているところまで二キロ弱だろう。行きよりも帰りのほうが時間が短く感じる。通郎が最後のカーブを曲がりおえると、薄暗く霞んだ前方の道路に横たわっているものが見えた。通郎は急に緊張してきた。手が汗で濡れた。できればもうこういうことはやりたくない。やらずに帰ったっていいじゃないか。中里をこのまま道路に置いていけばいいのだ。
しかし、そうした結果を考えると、とても難しい問題がたくさんあるとおもった。そういう問題が解決できるようにはとてもおもえなかった。それを考えるのだったら、いやだとおもっても、予定どおりにするほうが楽だとおもった。
そう考えていると、もう探偵が横たわっている場所の直前にきていた。考え直す余裕はなかった。タイヤが大きなものを踏み、車体の片側が大きく持ちあがった。何か変な感じだった。
車を停めて、探偵がどうなっているかを確認しに走った。生きている気配は感じられなかった。というよりは、生きていたものである感じもなかった。何かがおかしかった。探偵だとおもったものは、探偵の形に似せたあるものであった。探偵の形に似せたあるものにしゃがんで手を触れた。
そのとき、後方からライトが浴びせられた。通りかかった車が停まったのだった。若い女性だった。心配そうな顔をしている。助手席側に体を傾けて、何かを探していた。運転席側のドアを開けると、傘を開きながらでてきた。ダッシュボードから折り畳み傘を取りだしたのだろう。早足で近づき、通郎の傍らで足をとめた。見あげると、小作りのかわいらしい顔が口を開いた。
「どうかなさいましたか」
通郎が口を開けると、雨粒が入ってきた。
「道の真ん中に何かが落ちていて危険なので、道路の脇に運ぼうとおもったのです」
女性は通郎に傘をさしかけた。
「手伝いましょうか」
「手が汚れますから触らないほうがいいですよ。私ひとりで運べますから、お気遣いなく」
「なぜこんなところにこんなものが置かれているのでしょうか」
ほんとうに、探偵の中里を横たえたはずなのに、なぜこんなものが代わりに置かれているのか、私にもさっぱりわからないんですよとはいえなかった。
「さあ」
「なんでロープで縛って、しかもガードレールの足に結びつけられているのでしょうね」
「さあ」
「私、この人形を見たことがありますよ」