豹陣
-中里探偵事務所-
66
「えっ?」
「警察がひき逃げ事件の検証をするときに使う人形ですよ」
「はあ、そうなんですか」
「たぶん、これが道路に置いてあれば、人間をひき殺そうとおもった人なら、薄暗い時間帯なので何の疑いもなしにこの人形をひこうとするとおもって、だれかが置いたものなんじゃないでしょうか」
「ご冗談を」
通郎は女性の顔を見た。どこかでいちど見たことがあるような気がした。声にもおぼろげな記憶がある。
黒と白で塗装された、ある特別な公務に用いられる車両が静かに走ってきて、道路脇に停まった。「なんでパトカーがここに?」という疑問の答えを考える余裕も与えず、女性が言葉をつづけた。
「冗談ではないんですよ。この人形が置かれる前には、本物の人間がこうやってロープで縛られて道路に置かれていたんですから」
「いったい何の話ですか」
女性のうしろから男が歩いてきた。
「何の話って、とぼけないでくださいよ、関通郎さん。あなたはこの人を、弟の関博之といっしょにロープで縛って、ガードレールの足に固定したじゃありませんか」
うしろからきた男は、さっき通郎がひき殺したはずの男だった。幽霊のように見えた。女の反対側からいきなり声がした。
「関通郎、窃盗、監禁、ひき逃げの容疑で逮捕する」
声と同時に、強い力で腕が背中に曲げられ、手首に冷たい金属の硬い感触がした。
「橋本巡査長、タイヤはもう運んだんですか」
「ええ、いま神村巡査部長が車の中で指紋の検出をおこなっています」
「関さん、あとでタイヤの確認をしてもらいます。指紋の照合もします。これを聞きますか」
女性はICレコーダーをだして、何かボタンを押した。
「……一本百万、コレ以上ハカンベンシテクダサイ……」
「田部井巡査部長、濡れるから車に乗りましょう」
橋本巡査長と呼ばれた刑事が女性にいった。ICレコーダーが鳴り続ける。田部井巡査部長がパトカーの後部座席に乗りこみ、通郎を手招きした。通郎が乗りこむと橋本巡査長も入ってきた。雨でしけった埃の臭いで息苦しかった。
探偵は女性が乗っていた車の運転席に乗りこんだ。田部井巡査部長と橋本巡査長がこの後の段取りを打ち合わせていると、パトカーが走りだした。探偵が乗った車とすれ違うときに通郎は横を向いた。シルバーのアウディだった。パトカーは夜の山道を駆けぬけていった。ICレコーダーは鳴りつづけていたが、頭が真っ白になった通郎の耳には入らなかった。いくつのカーブを抜けたあたりで、ICレコーダーの声に通郎の耳が反応した。
「……純朴ソウナ老人ガ老後ノタメニ一生懸命タクワエタオ金ヲ百万モ、二百万モ、トキニハ五百万モ受ケ取リニイクノハ、耐エガタイコトデシタ……」
いったいどこから俺はしくじりはじめたんだろうと通郎はおもった。
「警察がひき逃げ事件の検証をするときに使う人形ですよ」
「はあ、そうなんですか」
「たぶん、これが道路に置いてあれば、人間をひき殺そうとおもった人なら、薄暗い時間帯なので何の疑いもなしにこの人形をひこうとするとおもって、だれかが置いたものなんじゃないでしょうか」
「ご冗談を」
通郎は女性の顔を見た。どこかでいちど見たことがあるような気がした。声にもおぼろげな記憶がある。
黒と白で塗装された、ある特別な公務に用いられる車両が静かに走ってきて、道路脇に停まった。「なんでパトカーがここに?」という疑問の答えを考える余裕も与えず、女性が言葉をつづけた。
「冗談ではないんですよ。この人形が置かれる前には、本物の人間がこうやってロープで縛られて道路に置かれていたんですから」
「いったい何の話ですか」
女性のうしろから男が歩いてきた。
「何の話って、とぼけないでくださいよ、関通郎さん。あなたはこの人を、弟の関博之といっしょにロープで縛って、ガードレールの足に固定したじゃありませんか」
うしろからきた男は、さっき通郎がひき殺したはずの男だった。幽霊のように見えた。女の反対側からいきなり声がした。
「関通郎、窃盗、監禁、ひき逃げの容疑で逮捕する」
声と同時に、強い力で腕が背中に曲げられ、手首に冷たい金属の硬い感触がした。
「橋本巡査長、タイヤはもう運んだんですか」
「ええ、いま神村巡査部長が車の中で指紋の検出をおこなっています」
「関さん、あとでタイヤの確認をしてもらいます。指紋の照合もします。これを聞きますか」
女性はICレコーダーをだして、何かボタンを押した。
「……一本百万、コレ以上ハカンベンシテクダサイ……」
「田部井巡査部長、濡れるから車に乗りましょう」
橋本巡査長と呼ばれた刑事が女性にいった。ICレコーダーが鳴り続ける。田部井巡査部長がパトカーの後部座席に乗りこみ、通郎を手招きした。通郎が乗りこむと橋本巡査長も入ってきた。雨でしけった埃の臭いで息苦しかった。
探偵は女性が乗っていた車の運転席に乗りこんだ。田部井巡査部長と橋本巡査長がこの後の段取りを打ち合わせていると、パトカーが走りだした。探偵が乗った車とすれ違うときに通郎は横を向いた。シルバーのアウディだった。パトカーは夜の山道を駆けぬけていった。ICレコーダーは鳴りつづけていたが、頭が真っ白になった通郎の耳には入らなかった。いくつのカーブを抜けたあたりで、ICレコーダーの声に通郎の耳が反応した。
「……純朴ソウナ老人ガ老後ノタメニ一生懸命タクワエタオ金ヲ百万モ、二百万モ、トキニハ五百万モ受ケ取リニイクノハ、耐エガタイコトデシタ……」
いったいどこから俺はしくじりはじめたんだろうと通郎はおもった。