烏賊がな
-中里探偵事務所-

探偵
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 皆川はお重のふたをあけた。芳ばしい香りが立ちこめる。大きな海老が四本並んでいた。シシトウとサツマイモの天麩羅もついていた。どれも天つゆがほどよくしみている。
 皆川ののどがゴクッと鳴った。
 品のいい箸で海老をつまんで口に入れる。かむと歯ぐきと舌がやけどしそうなほどに熱い。やけどしないように舌の上で転がしながら何度かかむとその味わいはこのうえないものである。ごはんをかきこみ海老といっしょに味わい、飲みこむ。うまい。うますぎる。茄子のぬか漬けに手を伸ばす。この酸味は、この場合にもっともほしかったものだという気がする。たくわんもうまい。「あをやぎ」では化学調味料などを一切使っていないことが明瞭にわかる味だ。昔食べたばあちゃんのたくわんである。白っぽくって自然な味わいである。海老、二匹目。三匹目。全然油焼けしない。胃がむかつかない。いったいどういう油を使っているのだろう。慌てるな。皆川は四匹目に手を伸ばしかけて、インターバルを置こうと決意した。お茶をすする。うまい。これもきっとこだわりのお茶なのだろう。この天丼、いったいいくらするんだろう。このあいだきたときは、お品書きもみなかった。まだ一回も金を払っていない。この天丼、千五百円はするな。
 優果が冷たそうなビール瓶を盆に載せて入っていた。
「もしよかったら、一口だけいかがですか」
「いや、しかし……」
「少し、休んでいけば大丈夫ですよ」
 優果が栓を抜き、瓶をこちらに差しだすと、皆川はコップを近づけずにはいられなかった。コップに琥珀色の液体がそそがれ、白い泡が盛りあがった。優果はつぐのが上手で、一滴もこぼさなかった。皆川はコップにくちびるをつけ、一気にあおった。のどがグビグビいう。冷たい。うまい。うますぎる。
 残りを手酌で飲んでいるとまた戸が開いた。譲が白い帽子をとって、頭を下げた。
「お口に合いましたか」
「いや、ほんとうに申し訳ない。こんなにしてもらって。ちゃんとお代は払うよ」
「いえ、皆川刑事には中古タイヤを見つけてもらったり、いろいろお世話になったんですから、このぐらいのことは当然ですよ」
「いや、だって、僕の仕事だし、それに、車関係のことなら、世話ないですから、今日はほんとうに払わしてくださいよ」
「じゃ、この次からはほんとうにお代をいただきます。今日だけは、私の顔を立てるとおもって、おごらせてください」
「そうですか。悪いですね。じゃあ、ほんとうに今回までとしてください。ほんとうにごちそうさまです」
「ところで、今日はなにかご用件でもおありでしたか」
 戸を開けて、また優果が入ってきた。抱えた盆にコーヒーとケーキが載っている。手早くテーブルに並べて、済んだ食器を盆に載せると、優果はおじぎをしてでていった。
 譲の前にもケーキとコーヒーが置かれていた。譲は自然な動作でケーキにフォークをさした。皆川もケーキが食べたくなった。コーヒーの香りがたまらない。
「実は譲さんに折り入ってお願いにあがったのです」
 と、皆川はケーキをフォークで切りながらいった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 烏賊がな-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2017年9月