烏賊がな
-中里探偵事務所-

探偵
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 足利の事件の犯人は関通郎である。そして、交通事故ではなく、殺人事件だった。
 佐野の事件の犯人も関通郎である。しかし、殺人事件ではなく、交通事故だった。少なくとも今の段階では。
 だから、佐野警察署としては交通事故として扱いたい。
 とすれば、県警が捜査に乗りだすまでもなく、佐野警察署単独で動ける。単なる交通事故だったら、それほど大騒ぎしてかかることはない。実は佐野警察署も栃木県警もなるべくその方向で処理したかった。足利の殺人事件の犯人である関通郎が、佐野の事故では、事故に見せかけた殺人事件の犯人に仕立てられたのだというややこしい構造を解明するのは、なかなか大がかりな処理が必要になる。
 佐野の交通事故で死亡した男は、嘆き悲しむ家族があるわけではなかった。苦労してやっと探しだした肉親たちは、身内をひき逃げした犯人が憎いようでもなく、どのように裁かれるかが気になるというようでもなかった。むしろ、思いがけなく転がりこんできた、ちょっとした遺産の分け前がどのくらいになるかの方が気になるようだった。
 肉親がそういう心理状態では、県警はますます単なる交通事故以外の複雑な事件として扱う意欲がでなかった。なにしろ常識的にみて単なる交通事故にみえるのだから、単なる交通事故として処理すればいいわけである。余計なことをして、マスコミにあら探しされたら、それこそとんだ災難である。できればそういうことは避けたい。
 そういうわけで、現在の状況では、佐野警察署が単独で事故として処理するのが、ベストであった。したがって、足利警察署の皆川が首を突っ込む余地はまったくないのである。皆川はそれが物足りなかった。譲から連続殺人事件の一端であることを示唆されているから、なおのことである。できれば、譲や亜沙子といっしょに佐野の事件を捜査してみたい。皆川にはそんな欲望が湧いてきていた。
 それで、譲のところへこうしてやってきたのである。
 譲もそのことがだんだんわかってきた。わかってきたが、譲も店を放って動けない。皆川も動けない。亜沙子になど頼めるはずもない。つまり、兵庫くんだりまででかけられる者などどこにもいないのである。
「コーヒーのお代わりはいかがですか」
 優果がサーバーを片手に持って入ってきた。
(いた)
 譲はおもった。
 長い期間兵庫にいっても差し支えなく、そういうことに割と興味を持っていそうな人間が、である。
「優果さん」
 譲はカップにコーヒーをついでもらいながら、優果の目を見つめていった。
「はい、なんでしょうか」
 それだけでなく、譲が想像しているとおりなら、大きな魚を釣るための餌にもなるはずである。この若くて聡明な女の子は。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 烏賊がな-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2017年9月