烏賊がな
-中里探偵事務所-

探偵
prev

8

 ここまでは順調だ。大塚優果はよい条件をたくさん備えている女の子だった。顔や声が割と好みに近かった。研究室の学生ではない。唯一の友人は法学部で、構内ではほとんど顔を合わせない。二人の都合があえば、昼食を学食で食べることにしているが、まだ実現したことはない。アパートは二人で暮らしているが、友人は交際相手のアパートに泊まることもしばしばなので、優果を外に連れだそうとおもえば、それほど難しくなさそうだ。親は遙か遠くの栃木県にいる。なによりもあの感じがある。コーヒーを飲んだり、食事をしたりすることを誘いかけても、断られないのではないかという、あの感じだ。むしろ、誘われることを待っているような気さえする。

 鴻上がコーヒーを淹れおわると、ゼミの学生が手分けしてテーブルに運んだ。鴻上が研究室にいるときは、鴻上がコーヒーを淹れることになっている。学生たちは鴻上の淹れ方がいちばん上手だとおもっているのだ。
 二人の学生は卒論について相談にきたのだが、いつのまにか話題は卒業旅行をどうしようかということに変わっていた。
「先生はどちらがいいとおもいますか」
 瀬山悦子がきいた。淡いピンクのセーターを厚手のスカートのうえに着ている。シェークスピアの研究をしている四年生だ。
「僕の意向をきかなくてもいいよ。イギリスは一通りいってるからね。まあ、でも三月のイギリスは寒いから、ロンドン周辺とか、なるべく南の方がいいとはおもうけどね。これも毎年アドバイスしていることではあるけど」
「でも、私、シェークスピアの生家は絶対いきたいんです。えっと、なんだっけ、ストラッド……」
「ストラトフォード・アポン・エイヴォンだろ。そこならロンドンの近くだよ。ケンダルとかオックスフォードなんかを回るのが最初のイギリス旅行ならいいんじゃないかな」
「そこもロンドンの近くですか」
 今度は水村早紀がきいた。
「ああ、このへんにはハリーポッター関係の観光地も多いから、君たちにはもってこいじゃないかな」
「えー! ハリーポッターがみられるんですかあ?」
 部屋の暖房で体が温まったため、これ以上ダウンジャケットを着ていられなくなった早紀は、チェックのシャツ姿になりながら、いった。
「いまやイギリス観光のひとつの目玉になってるよ」
 そういいながらも鴻上は優果のことが気になっていた。コーヒーを両手でもって、ときどきすすりながら、学生たちの話を楽しそうにきいている。優果がこの部屋にくるのは、これで三度目だった。二度目は鴻上に誘われてきた。今回は、自分の意志できている。これはますますいい兆候だ。
next

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 烏賊がな-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2017年9月