烏賊がな
-中里探偵事務所-

探偵
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「九月に起きたひき逃げ事件のこと、知らないんですか」
「神戸でひき逃げ事件がありましたか」
 右側から悦子の声がきこえてくる。
「そうなんですよ、大塚さん。この店の近くのバス停で、女の子がいきなり誰かに後ろから突き飛ばされて、走ってきたSUVにはねられたんです」
「あ、女性が後ろから押されて車にひかれた事件って、神戸で起きたんですね。それなら、知ってます。でも、神戸というのは記憶にありませんでした。最近、全国のあちこちでひき逃げ事件があったから、地名とか事件の詳細とか、ごちゃごちゃになっちゃって」
「ほんとうですよね。最近物騒な事件が多くて」
 悦子の言葉が一区切りすると、それを遮るかのように、陽菜がいった。
「その子、私たちの同級生なんですよ、大塚さん」
「それで、その、もしかすると……」
「鴻上先生のゼミの子でした」
 早紀がそういうと、陽菜が続けた。
「鴻上先生と付き合ってたんです」
「そんな……」
 優果はフライドポテトに手を伸ばした。もう冷めかけていた。
「鴻上先生、女癖が悪いらしいんです」
 早紀はウーロン茶の紙パックを手にして、ストローを口に含んだ。
「それで、その子が邪魔になって……」
「ちょっと、陽菜、言い過ぎよ」
 悦子が眉間を細めた。
 優果は指先についた塩をナプキンで拭いた。
「私、鴻上先生に近づこうだなんて、考えてないですよ」
「でも、鴻上先生は、その気になってるみたいですよ」
 陽菜は、ハンバーガーをガブリとかじった。
「だって、鴻上先生は、奥さんだっていらっしゃるんでしょう?」
「奥さんがいなかったら、お付き合いするんですか」
「ちょっと、陽菜」
 悦子がおろおろしている。
「陽菜さん、鴻上先生がその気になってるってどういうことですか」
 優果がカフェラテを手に持ってそういうと、陽菜は鬼の首を取ったようにいった。
「ほら、やっぱり、鴻上先生とお付き合いするつもりなんじゃないですか」
 優果は、うつむいて、唇を軽くかんだ。所長の指導どおりに。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 烏賊がな-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2017年9月