烏賊がな
-中里探偵事務所-

探偵
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場面35

人生は一瞬で方向を変える。
スティーヴン・キング
『11/22/63』

 やかんが音を立てたので、陽菜はイスから立ちあがった。
「一つきいてもいいですか」
 優果はドキンとした。
「はい、どうぞ」
 陽菜は、ガスコンロを切り、ポットに湯をそそいだ。紅茶の香りが漂う。
「鴻上先生はいい人だとおもいますか」
 茶葉がしだいにほぐれてきた。甘い果実のような香りがますます強くなる。
「さあ、どうなんでしょうか。私には悪い人に見えないですけど」
「本当。はじめは誰もがそうおもうの。でも、それは見かけだけ」
「実際はどんな人なんですか」
 カチャカチャと陶器同士の触れあう音がする。陽菜が盆をもってきた。
「浮気性で冷淡な人」
 陽菜がカップを載せた皿を置き、トリュフを別の皿に二つ載せた。
「どうぞ、召しあがってください」
「これ、陽菜さんの手作りですか」
「あまりうまくないんですけど、よかったらどうぞ」
 優果は、まさか毒ははいっていないだろうとおもいながらも、こわごわと口に運んだ。
「おいしーい! 陽菜さんって、チョコレート作るの上手なんですね」
「なかなかおもったとおりにできなくて」
 紅茶を口に含む。優しいダージリンの香りがトリュフと混ざる。
「紅茶にすごくあいます」
 優果は、陽菜にこういう面があることを知って、少し見る目が変わるような気がした。しかし、自分を尾行する女であることを思い出して、気を引き締めた。
「私、あなたが鴻上先生に近づきすぎるのが心配なの」
 陽菜は紅茶を一口すすった。
「大塚さん、あなたが鴻上先生に近づく目的は何なの?」
「私はただ鴻上先生にイギリス文学を教わりたいだけなんですけど」
「じゃあ、なんで先生といっしょにステーキ屋にいったの?」
「えっ? なんでそんなことを知っているんですか」
 優果はまた驚いた振りをした。
「大塚さん、私は、なんでも知ってるのよ。友だちが、先生とあなたがステーキ屋に入るのを見たと教えてくれたの」
 私を尾行したことを、私に気づかれていないとおもっているのが、これではっきりした。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 烏賊がな-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2017年9月