烏賊がな
-中里探偵事務所-
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一方で、鴻上は大阪の大きな商家の跡取りとして、その後も裕福に暮らし、子や孫に資産を受け継いだ。
あの水害がなければ、あるいは、同じ水害があるにしても、鴻上さえ夕子を必死に捜索してくれていたら、夕子の鴻上への感情は変わることなく、予定どおり結婚していたろう。そうすれば、こんな貧しい状態で暮らすことはなかったろう。夕子の孫娘、すなわち陽菜の母は、いつもそうおもって、貧しい子供時代を過ごしていた。結婚して陽菜を育てるころには、もう貧苦とは縁がなかったが、しかし、一家が没落した遠因としての鴻上の薄情は、常に恨みの種となった。
陽菜自身は、鴻上の名をきいたことが数回あるにすぎなかったし、それもぼんやりとした記憶の底に沈んでしまっていたから、大学に進学し、鴻上という教授がいるということがわかっても、特になにも感じることはなかった。三年になり、鴻上の研究室に入り、そのことが岡山の実家で話題になると、母親の表情が険しくなった。研究室を変えることはできないのかと、真顔できかれた。最初のうちは、母親に反発したが、詳しい話をきくうちに、次第に根本家にとって鴻上は宿敵であるという感覚が根づいていった。それは、鴻上教授の行動や性格にも原因があった。鴻上教授は浮気性で、飽きっぽい男だった。研究室の女子学生と平気で交際し、飽きると簡単に捨てた。そういうことが次第にわかってくると、鴻上への嫌悪感が強くなるのを抑えることはできなくなった。
そして、今年になって、鴻上とつきあっていた親友の恵利が、鴻上に飽きられたようだと気づいたころ、謎の交通事故で急死した。もう、鴻上を許すことはできないとおもった。しかし、そうおもっても、証拠もなにもないし、また、鴻上に復讐する機会も能力もなくて、一人でこらえていた。
そこへ、大塚優果という聴講生が現れ、鴻上と親しくなっていった。優果をうまく味方につけることができれば、もしかすると、復讐を遂げられるかもしれない。そうおもうと、いてもたってもいられなくなり、こうして、厚かましさを顧みず、無茶な頼み事をするのだ。陽菜はそんなふうに話をした。
話が終わるころには、陽菜がいれかえてくれた紅茶も、カップの底の方ですっかり冷め、トリュフも食べつくしていた。
あの水害がなければ、あるいは、同じ水害があるにしても、鴻上さえ夕子を必死に捜索してくれていたら、夕子の鴻上への感情は変わることなく、予定どおり結婚していたろう。そうすれば、こんな貧しい状態で暮らすことはなかったろう。夕子の孫娘、すなわち陽菜の母は、いつもそうおもって、貧しい子供時代を過ごしていた。結婚して陽菜を育てるころには、もう貧苦とは縁がなかったが、しかし、一家が没落した遠因としての鴻上の薄情は、常に恨みの種となった。
陽菜自身は、鴻上の名をきいたことが数回あるにすぎなかったし、それもぼんやりとした記憶の底に沈んでしまっていたから、大学に進学し、鴻上という教授がいるということがわかっても、特になにも感じることはなかった。三年になり、鴻上の研究室に入り、そのことが岡山の実家で話題になると、母親の表情が険しくなった。研究室を変えることはできないのかと、真顔できかれた。最初のうちは、母親に反発したが、詳しい話をきくうちに、次第に根本家にとって鴻上は宿敵であるという感覚が根づいていった。それは、鴻上教授の行動や性格にも原因があった。鴻上教授は浮気性で、飽きっぽい男だった。研究室の女子学生と平気で交際し、飽きると簡単に捨てた。そういうことが次第にわかってくると、鴻上への嫌悪感が強くなるのを抑えることはできなくなった。
そして、今年になって、鴻上とつきあっていた親友の恵利が、鴻上に飽きられたようだと気づいたころ、謎の交通事故で急死した。もう、鴻上を許すことはできないとおもった。しかし、そうおもっても、証拠もなにもないし、また、鴻上に復讐する機会も能力もなくて、一人でこらえていた。
そこへ、大塚優果という聴講生が現れ、鴻上と親しくなっていった。優果をうまく味方につけることができれば、もしかすると、復讐を遂げられるかもしれない。そうおもうと、いてもたってもいられなくなり、こうして、厚かましさを顧みず、無茶な頼み事をするのだ。陽菜はそんなふうに話をした。
話が終わるころには、陽菜がいれかえてくれた紅茶も、カップの底の方ですっかり冷め、トリュフも食べつくしていた。