烏賊がな
-中里探偵事務所-
51
場面39
全くのオリジナルなどこの世に存在しませんが、やはりトレードマークというか、きちんと商標登録できる程度のオリジナルのストーリーはある。渡辺京二
『幻影の明治』
譲が読みおわって黙っていると、明貞がきいた。
「どうだい?」
「田螺の精が話してくれた本を読んでみたいな」
「そうだろ。俺も読んでみたいよ」
「作者もどういう話なのかわからないのか」
「当たり前だろ。わかってたら、今頃俺は、大金持ちだよ」
譲は笑った。明貞はイカの刺身を箸ですくった。
「それにしても、田螺が恩返しをするなんて、よく思いつくもんだな」
「高校のとき、漢文で習わなかったか」
譲は思いだそうとした。コップをかたむけた。ビールをぐいっと飲んだ。覚えがなかった。
「覚えがないな」
「白水素女っていうんだけど」
「ハクスイ……」
「ハクスイソジョ。白い水で白水。素敵な女で素女」
「白水素女……。いや、しらないな」
「あるところに、働き者の男がいた。男がある日、大きな田螺の殻を見つけて、家に置いておいた。それからというもの、男が畑仕事から帰ると、なぜか食事の用意ができていた。不思議におもった男が畑にいく振りをして、こっそり家のなかをのぞいていると、田螺の殻から女がでてきた。男は家のなかにはいり、女に話しかけた。女は、神様があなたの世話をするように遣わしたのだと答えた。正体が知られてしまったから、田螺の殻を残して帰りますといって、女は消えてしまった。田螺の殻からはいくらでも米がでてきたので、男の生活は楽になった」
「へえ、おもしろいね。でも、俺の学校では教わらなかったような気がするよ」
「いや、俺も高校のときに教わったわけじゃない。教師になってから、何度か授業をした」
「種明かしがなかったら、メイテイのオリジナルだとおもったよ」
「アレンジするのが小説家の腕前さ」
「だって、まねしちゃいけないんだろ」
「なに、創作なんてのは、ほとんどなにかのまねさ。この世にお話のパターンなんて、何種類もないのさ」
「しかし、知的財産権とか、いまはいろいろとうるさいだろ」
「もちろん、そっくりまねしちゃ、だめだけど、細かいところを少し変えて、互いに知的財産権を主張しあっているだけだよ」
「細かいところを少し変えているといえば、最近、こんなことをきいたんだよ」
譲は、優果からきいた、神戸の洪水の話をした。明貞も興味深そうに、コーヒーテーブルの真ん中まで顔を寄せてきいていた。譲は話し終わると、これには元ネタがあって、女子大生がそれを作り替えたんじゃないかという優果にも話していない自分の見解を述べた。
「それ、小説のネタになりそうだな」
「この話、よくできすぎてるよな」
「たしかに、その女子大生の話、どこかで読んだことがあるぞ」
明貞は鶏の唐揚げをつまんだ。
「漱石だったかな、川端だったかな……、それとも、三島だったかな……」
「神戸の洪水だから、漱石はないんじゃないか」
「そりゃそうだ。とっくに死んでる。だからやっぱり、川端、三島あたりかな。志賀なんかも臭いな」
明貞は腕組みをした。「だめだ。思い出せない」
「思い出せたら、教えてくれよ。この話が妙に引っかかるんだよ」
「わかった」