烏賊がな
-中里探偵事務所-
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場面47
単純な心の混乱に比すべき混乱はない。フィッツジェラルド
『グレート・ギャツビー』
二人の男は向かい合っていた。
病院の廊下だった。
目の細い男が言った。
「病室まで案内します」
黒っぽい服装の男はうなずいた。
目の細い男はゆっくり歩き始めた。
黒っぽい服装の男は後を付いていった。
個室の前で目の細い男が止まった。黒ずくめの男は表札を見た。
鴻上幹雄
と書いてあった。
黒ずくめの男は特に気にはならないように見えた。
「ここです」
目の細い男は、声をひそめて言うと、そっと中に入った。個室だった。顔色の悪い年老いた男が呼吸器を付けて寝込んでいる。
男は黒ずくめの男を廊下に出して、言った。
「アリバイを作りたいので、一時間ほど外の喫茶店で待機していて下さい。裏口が開いてますから、大丈夫です。看護師の見回りは三十分後です。毎日正確な時刻に来ます。もし不測の事態が生じたら、今晩は延期にしていただいて結構です」
黒衣の男はうなずいた。
エレベーターで一階に降りて、裏口から外に出ると、二人は別れた。目の細い男は、シルバーのヴォクシーに乗り、眼鏡をかけると、エンジンをかけ、駐車場から出て行った。
黒衣の男は喫茶店でコーヒーを三杯飲んだ。
五十五分経過した。
黒衣の男は、病院に戻り、裏口から入り、エレベーターで三階に上がった。鴻上幹雄の個室はすぐだった。スライドドアをそっと開け、中に入ると、さっきと同じように老人が寝ていた。
呼吸器を外すのは簡単だった。
スライドドアをそっと開け、廊下に出た。三人の男がいた。一人はラグビー選手のような体格をしていた。腕をねじ曲げられ、うしろに持って行かれると、冷たいものが手首に当たった。
「林康行、殺人未遂で逮捕する」
皆川巡査長は他の二人に連れていくよう合図した。
病院の駐車場に音もなく停まっているパトカーまで、制服を着た警官が二人で林を連れてくると、田部井亜沙子巡査部長がパトカーの後部座席のドアを開けた。