ツェねずみ
-中里探偵事務所-

探偵
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場面60

へたな祈祷師はやみくもに祈る。じょうずの祈祷師は、まず雨がふるかふらぬか、そこをしらべぬいたあげく、降りそうな日に出てきて護摩を焚く。さればかならずふる。天下のことも雨乞いとおなじで、時運というものがありその時運を見ぬかねばならぬ。
司馬遼太郎
『竜馬がゆく』

「そんな重要なものをどこへやったかわからないだなんて、どうかしてるよこの店は」
 店内にピリピリと緊張が走った。皆川の怒鳴り声に驚いた客たちは、全員トレーを持って店の外に座って食べる場所はないかと見回した。商品を選んでいる途中だった客たちは、全員商品を元の場所に戻して、自動ドアに向かった。レジの前で待っている客も右へならえした。気のきいたアルバイトの店員が紙にマジックで「一時的に営業を休止いたします。お客様にはご迷惑お掛けしますが、ご容赦ください」と書いて、ショーウィンドウに貼り付けた。その横の自動ドアから蜘蛛の子を散らすように客たちが出ていった。
「ああ、こんなことをしているうちにホシが人気のない遠いところに行ってしまったら、どうしてくれるんだ。とりあえず個人情報の適切な管理がなされていなかったということでの摘発は免れないな」
「申し訳ございません。ハードディスクはたしかにあるはずです。大急ぎで探し出しますので、店内でお飲み物を召し上がりながらお待ちください」
 店長は深々と頭を下げ、他の二人の店員と厨房や事務室の中を探し回った。皆川と制服警官も一緒に探し回った。
「お飲み物とパンをご用意しましたので、こちらでお待ちください」
 さっき張り紙をした気のきくアルバイト店員が皆川と制服警官に声を掛けた。
「あっ、どうもすいません」
 アルバイトの愛想のよい笑顔につられてテーブルに歩いていきそうになった制服警官の手を皆川はつかみ、怪力で事務室に引き戻した。
「ばか、そんなもの食ってる暇はねえだろ。人の命が掛かってるんだぞ」
 人の命が掛かっているとまでは本気で考えていなかったが、イオンで鴻上の車に根本陽菜が乗り込んだという知らせを聞いて、いやな展開になったという感じはぬぐい去れないと皆川は思った。
「は、はい」
 まだ成り立ての制服警官は皆川の大きなこぶしが今にも飛んでくるのではないかと思って体をすくめた。私立探偵の所長とかいう人物は切れ者かもしれないと彼は思った。皆川巡査長が根本陽菜を追跡し、田部井巡査部長がサンマルクカフェ元町東店を捜索した場合、鴻上の車に根本陽菜が乗り込んだ時点で、この皆川巡査長なら強引な手法を提案するだけでなく、無線による指示を無視して実行に移さないとは言えない。そんな印象が刻まれたのである。昨夜の捜査会議では、皆川は終始根本の車を追いたがった。しかし、栃木県警の高柳警部補がモニターの向こうから、探偵所長の計画を採用することに決したので、そうならなかった。これはこの捜査にとって幸運なことであった。でも、自分にとっては不運なことであった。あの冷静で知的な田部井巡査部長なら全く違ったやり方でこの店の店長に協力を要請しただろう。そして、理性的・計画的に捜索を開始して、もうハードディスクを探し出し、コーヒーの一杯でも飲みながら録画ビデオを観ていたかもしれない。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ツェねずみ-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2019年3月