世界の街角から
(インド編)

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デリー市内観光
第二日目 7月23日(金)9時30分。ホテルを出る。
ターバンの運転手の車である。やや不安を覚える。
街道は車や人であふれていた。すり抜け、追越し、クラクションを鳴らし続けるターバンズカーのドライビングも、不思議と、それがあまりにこの街の風物として溶け込んでいるので、気にならなくなってきた。
ラージガートはガンジーを火葬したところである。ガンジーを暗殺した集団の末裔が、その門の前でデモをしていた。隅の方にテントを張り、大勢の人がしゃがみこんでいた。
門の中は一面に水が張っていた。池だと思ったら、そうではなかった。前日までの雨で洪水になったのだそうだ。深さは十センチ程で、参拝のインド人や欧米の観光客が裸足でじゃぶじゃぶ歩いていた。
「歩いてもいいけど、悪い病気になっても責任は持てない。蛇もいるかもしれない」とチョーハンさんにさんざん脅されるが、結局歩いていく。裸足になり、濁った水の中を百メートルも進むと、入口に着く。そこに座っている男性が手真似して、サンダルを預けろという。参拝後にチップを要求するつもりなのだろう。パイサがいくらかあればよかったが、あいにく持ち合わせがないので無言で立ち去る。ちなみにインドの通貨には、よく知られたものにルピーがあるが、それよりも下位の単位がパイサである。ドルとセントの関係と考えればわかりやすい。日本人にとっては、1ルピーはお賽銭にするのも気がひけるくらいに少額(日本円で十円にもならない。五円にもならないだろう)だが、インド人、特に貧しい人々にとっては、それなりに価値がある。1ルピーでバナナが買えるだろう。2ルピーでチャーイ(インド風のミルクティー)が飲めるだろう。下足番のお礼程度なら、50パイサぐらいが適当だろうと思い、その人に預けなかったのだ。しかし、この辺の感覚はそのあともよくつかめなかった。旅行中ずっと、金銭感覚のギャップと、インド人の商魂たくましさに悩まされることになった。
なにはともあれ、ラージガートを見ることができた。「HeRam(おお、神よ!)」と、ガンジー最期の言葉が記されていた。
続いてラール・キラーに向かった。ラール・キラーは英語でレッド・フォート、つまり赤い城だ。赤砂岩で造られた城壁が赤い色をしていて、これがその名の由来になっている。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが築いたもので、世界遺産に登録されている。
到着してみると、駐車場はすごい人だかりだった。屋台の菓子屋や水を売る店などが立ち並んでいる。こどもを抱いてもの乞いする女性が寄ってくるが、見ない振りをする。ムッシューとか何とかいって、肩をとんとん叩く。ずっと見ないでいると、遠ざかっていった。