世界の街角から
(インド編)

インド旅行
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15

 建築狂のシャー・ジャハーンはムガル帝国五代目の王である。ムガルの全盛期で、莫大な富と権力があった。
 大理石ブロックの面積は、畳の3分の2ぐらいある。それをいったいいくつ積んで、この途方もない建築物を完成させたのだろうか。しかも、50㌔離れた採掘場から、極上の大理石を選別して、人力で運ばせたのである。廟造営事業に人民もさぞかし疲れ果てたことだろう。
 だが驚くことなかれ、彼はさらに自らの廟をヤムナー河の対岸に造営しようともくろんでいた。黒大理石でタージ・マハルとまったく同形に造るつもりだったらしい。しかし、その夢はかなわなかった。実子アウラングゼーブがクーデターを起こし、建築病の父をアグラ城に幽閉してしまったのだ。牢屋の中でシャー・ジャハーンは、死ぬまでタージ・マハルを眺め暮らしたそうだ。
 彼の死後、アウラングゼーブの妃が気の毒がって、彼の亡骸をタージ・マハルの愛妻の隣に安置してあげたということである。
 チョーハンさんが教えてくれたタージ・マハルの名称の由来は、王冠(タージ)の宮殿(マハル)。そう言われてみれば、タージ・マハルは王冠に似ている。王冠の宮殿に眠るお后さまだから、そのことが有名になって、あとからムムターズ・マハルという名前が付いた。そうかムムターズ・マハルは本名ではなかったのだ。
 タージ・マハルから離れて噴水沿いに歩き、芝生の上で立ち止まった。
 タージ・マハルの西側に赤砂岩でできたモスクがある。このモスクもかなり大きい。東にもまったく同型の建物がある。これは会議所に使われたそうだ。同じ形の建物なのに西側のをモスクとしたのは、もちろん聖地メッカの方向だからだ。もともとこのモスクは、タージ・マハルが完成するまでの、一時的なムムターズの霊廟だったそうだ。
 芝生には、インド各地の民族衣装を着た観光客がくつろいでいた。その鮮やかな衣装を着ているあるインド人一家に声をかけ、写真を撮らせてもらった。
 「あとで送りたいから」と言って、ひとりの主婦らしき女性に、名前と住所を書いてもらった。しかしまったく読めないので困っていたら、インドの人はみな親切だ、懸命に教えてくれる。しかし英語を書ける人がいないので結局あきらめ、ご好意に厚くお礼を言って立ち去った。歩きだすとすぐ、彼らは英語の書ける男性を連れてきてくれた。さっそく英語に翻訳してもらった。
 この一家はジャハンギールさんと言って、はるばるアーンドラ・プラデーシュ州からやってきたという。しかも、なんという偶然、書いてくれた女性はムムターズという名前だった。私がタージ・マハルを指さして、
「ムムターズ?」ときいたら、
「イエス!」と言って、顔をほころばせた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 世界の街角から(インド編)
◆ 執筆年 2013年1月24日
◆ 群馬県立太田高等学校『図書館だより』の「閑話 世界の街角」に 2011年4月から2013年1月まで連載した紀行文