世界の街角から
(イギリス編)
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ロンドン その1
ロンドンに到着し、赤い二階建てバスで、とあるパブを目指す。パブの名は「シャーロック・ホームズ」。と言っても、ベーカー街221Bにあるわけではない。目的地に着いて料金を支払おうとしたが、よくわからなくて、アフリカ系の運転手に一生懸命説明していると、言葉もろくにしゃべれないアジア人の面倒を見るのに彼は嫌気がさし、私たち二人から金を取らずに下ろしてしまった。申し訳ないことをしてしまったと思い、パブ「シャーロック・ホームズ」のテーブルで「るるぶ」を開いて、バスの乗り方をしっかり勉強したので、帰りのバスはスムーズに料金を支払えた。運転手は別の人だったが。ところで、肝心のパブの話であるが、これはいたって普通のパブであった。各メーカーのビールサーバーがずらりとカウンターに並んでいて、いかにもパブ、という感じである。とにかく賑わっていた。そして、フィッシュアンドチップスがうまかった。時間がなかったので、「シャーロック・ホームズ」らしさをそれほど味わうこともなく引揚げてしまったが、実は2階にホームズの書斎を模したレストランがあり、ここのプディングがおいしいらしいのだ。この店を十分に堪能できなくて少々残念だった。
第6日目 2005年8月13日(土)
今日は終日ロンドン自由行動である。
欲張らずに、ロンドン塔、タワーブリッジ、大英博物館のみを見学することにした。
ロンドン塔というと、漱石の『倫敦塔』のイメージが強い。ロンドン塔の前に立って、百年前に漱石がロンドン塔の前に佇んでいたことを考えていた。そこで漱石は空想の翼を広げる。
「倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである。」
この漱石の言葉のとおり、11世紀にウィリアム1世が建てて、その後は王宮として使われ、その間に、造幣所、天文台、銀行、動物園も兼ねていた。しかし、この建物が有名なのは、何と言っても、監獄として利用されていたという歴史があるからだろう。ここでは、歴史上有名な人が大勢囚われ、処刑された。その中には国王もいた。王妃もいた。トマス・モアにクロムウェルもいた。漱石の『倫敦塔』では、幽閉された幼い二人の王子の顔を見せてほしいと門番にせがむ王妃の様子が、とても印象的である。この二人の王子は、エドワード五世とヨーク公リチャードであろう。
このように、血なまぐさい歴史を重ねてきたロンドン塔に入るのは、少し気が重くもあったが、中に入り、工夫して陳列された数々の展示品を見て回ることにした。
話は突然変わるが、ある日曜日に、この紀行文を書いている私のパソコンの画面をのぞき込んだ私の妻が、クローゼットから探し出した花の種を小さな庭に蒔いていた。それは、シェークスピアの生家で買ったまま、ずっと忘れていたものだった。果たして芽が出るのだろうか。もし芽が出たらどんな花を咲かすのだろうか。