世界の街角から
(フランス編)

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ルーアン②
ルーアンに向かうバスのなかで、JTB添乗員の芳野さんがしてくれた、「フランス人のバカンス好き」の話がおもしろかった。フランス人は、夏のバカンスをどう過ごそうか考えて、一年を送っている。バカンスの計画で頭がいっぱいだから、仕事をしていてもなんとなく気もそぞろである。バカンスが終わると、もう来年のバカンスのことで頭がいっぱいになるから、仕事をしていてもなんとなく気もそぞろである。つまり、頭の中は常にバカンスでいっぱいなのである。
そんなフランスにはなんとバカンス法まである。雇用者は被雇用者に7月から9月までのあいだに、最低でも2週間以上連続で休暇を取らせなくてはならない。実際にフランス人は普通3週間から4週間は休暇を取得する。
その長いバカンスをどこで過ごすかというと、やはり太陽を浴びるために海に行く人が多い。冬が長くて日照時間も少ない地域に住む彼らは、太陽を体に存分に浴びたいという欲求がきわめて強い。そういうわけで、ニースやモナコなどの有名リゾート地がそろっているコートダジュールに殺到する。しかし、コートダジュールは甚だしく混雑するし費用もかかるということで、最近はスペインや北アフリカなどの安いところの人気も上昇している。
バカンスから少し話がそれるが、フランス人の働き方についても、一言だけ添えておこう。フランス人は概して個人主義で家族主義だから、勤務時間外労働は基本的にしない。買い物するときも、閉店間際15分前に入ると、店の人にいやがられて、場合によっては品物を買えないこともあるようだから、注意が必要だ。
ルーアンが近づいてくると、芳野さんはジャンヌ・ダルクの話をしてくれた。私は今までルーアンという都市の名とジャンヌ・ダルクという女性の名を聞いたことはあったが、この二者が私の頭の中でどうしても結び付かなかった。しかし、芳野さんの話を聞いたあとでは、ジャンヌ・ダルクという少女のことを知らずにルーアンを旅するのは、源義経のことを知らずに平泉を旅するのと同様に、味わいのないことだと思った。やはり、私のような旅の素人は、添乗員の解説を受けながら各地を歩きまわるのが適しているのだろう。
フランスとイギリスの百年戦争の頃のことである。フランスの情勢は思わしくなく、敗色は濃厚であった。その流れを一気に変えたのが、片田舎の農家の娘であった。
フランスの情勢は、「思わしくない」などという言葉で片付けるにはあまりにも厳しかった。主戦場はほぼすべてフランス国内にあり、ほとんど勝利らしい勝利もなく、イギリス領になるのも遠い未来のことではなかった。早い話、消滅の一歩手前だったのである。そのとき、ジャンヌ・ダルクは十三歳だった。その彼女がある日、神のお告げを聞いたことが、歴史を大きく変えたのであった。