世界の街角から
(フランス編)

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ヴェルサイユ①
ルーブル美術館をあとにして、我々ツアー一行は、ヴェルサイユ宮殿に向かう。その前にレストランに立ち寄る。そこのエスカルゴが大変うまかった。五つか六つか穴のあいた、たこ焼きの鉄板のような器の穴にエスカルゴが一粒ずつ入っている。日本で一回エスカルゴを食べたことがあったが、小ぶりで縮こまっていて、そんなにおいしいとは思わなかった。しかし、この店のエスカルゴは貝殻も大きく、肉もぷるぷるして味もよい。専用トングで殻をはさみ、フォークで身を取り出して口に放りこむ。ジュワッとして、快い噛み心地だ。パセリとニンニクのバターソースが、また実によく合う。ぺろりと平らげる。エスカルゴはパリで食べなければだめなものだ。
メインは子牛の煮込み。ひもで縛ってあって、外観はチャーシューみたい。切ったらハンバーグみたい。なかなかおいしかった。
フランス料理を堪能したあとは、バスに揺られてヴェルサイユに行くだけである。
それにしても、ルーブルを見学したあとにヴェルサイユを見学するというのは、実によく考えられたコースである。なぜならフランス王宮の変遷を理解するのに役立つからである。
その辺を頭に入れるために、マリー・アントワネット辺りから歴史を遡ってみよう。
まず、マリー・アントワネットの夫がルイ16世である。
そして、ルイ16世のおじいさんがルイ15世である(お父さんではない)。
さらに、ルイ15世のひいおじいさんがルイ14世である(こちらもお父さんではない)。
なんともややこしいものである。
そのルイ14世の時代までは、ルーブルが王宮であった。
いつからかと言うと、これも実にややこしい話になる。本当にフランスの歴史は、イタリアとかスペインとかと入り混じっていて、わけがわからない。
ところで、ルイ14世とかルイ16世とかの血筋を通常ブルボン朝と呼んでいる。
では、ブルボン朝の前は何と言うかというと、これがヴァロア朝である。
そのヴァロア朝のシャルル5世が、それまで城塞として使用していたルーブルをフランス王宮に定め、改築もしたのである。そして、同じくヴァロワ朝のフランソワ1世は、ルネサンス様式の華麗な宮殿に改築し、美術品の収集を開始した。『モナ・リザ』もこのときルーブルにやってきたそうな。
それで、そんなに豪華なルーブル宮殿がセーヌ川のほとりにあるのに、いったい誰が遠くて不便なヴェルサイユに引っ越したかというと、それがルイ14世なのである。絶対君主制を確立したブルボン朝最盛期のルイ14世は、強大な王権の象徴としてヴェルサイユ宮殿を造営した。彼は元来宮殿を作るのには不向きな地形にヴェルサイユ宮殿を敢えて造営し、その内外に貴族たちが常駐することを半ば強制した。そして、大庭園を民衆に開放することで王の偉大さを誇示し、宮廷の儀礼を厳格化することで貴族たちの王への服従を揺るぎないものにしたのであった。