世界の街角から
(アメリカ編)
14
モニュメントバレー①
アメリカの地図というのは実に大ざっぱである。ユタ州とアリゾナ州の境目は完全に水平な直線である。このきれいな直線の真ん中の、気持ちだけアリゾナ州に入ったところにページという町がある。ということは、もちろんアンテロープもこの辺である。ここからまっすぐ東へ100キロほど行くと、そこがモニュメントバレーである。モニュメントバレーは気持ちだけユタ州に入っている。アンテロープとモニュメントバレーのあいだにはナバホマウンテンという山岳地帯がある。だから、地図の直線のように真っ直ぐ行くことはできない。南へ迂回して、アリゾナ州内を大回りしなければならない。アンテロープ見学後モニュメントバレーまで行き、西部劇の舞台を見て回ったあと、ナバホの名物料理でランチするわけだから、かなりの強行軍である。ジョーイが焦るのも無理はない。現在の時刻は午前10時30分である。
砂漠の中をモニュメントバレーに向かう。鮮やかな空に雲がたなびく。まもなくナバホ族の居留地に入るだろう。ガイドのジョーイがナバホの人たちの音楽をかけてくれた。まさに西部劇の世界そのものだ。『駅馬車』『荒野の決闘』『黄色いリボン』と、ジョン・フォードがモニュメントバレーでメガホンを握った。高い斜面の上から派手な飾りを付けたネイティブ・アメリカンが奇声を上げて駆け降りてきそうな気がする。
赤茶けた砂原は、完全に単調ではない。はるか遠くまで真っ平らなところもあれば、地層をむき出しにした小高い断崖が続くこともある。風の模様を写しとった砂丘もあれば、一面に生えたサボテンが干からびた白菜のようになっているところもある。むしろ、何もない砂丘の方が圧倒的に少ないくらいだ。サボテンだけでなく、樹木が生い茂った場所さえある。昔、ネイティブ・アメリカンは、谷間に樹木を見つけると喜んだ。水源が近くにあることを意味するからだ。だから、彼らはこれらの木々を「命の木」と読んだ。一方、開拓者たちは同じ木を「死の木」と呼んだ。棺の材料としたためである。
電線とかガードレールとか標識とかいうものがほとんどない。景観に影響を与えないように、アメリカ人が努力しているそうだ。名所の近くまでしか車は入れない。その後は、シャトル・バスやジープを使う。赤茶色の景色に合わせて、アスファルトを赤い色にしたり、電線を白く塗装したりしてあった。目的のものを見物してみると、何の説明も取り付けられていないことに驚かされる。不便なようで実際にはそれほど不都合を感じない。自然をそのままの状態で保存することに最大限の工夫をしているのである。トイレも不便だし、砂漠を駆け抜けるジープは恐ろしいし、土産屋や自動販売機もないが、邪魔するものが何もなく、それ自体を隅から隅まで全部見られるというのは、日本では絶対に味わえない快楽である。