世界の街角から
(アメリカ編)

アメリカ旅行
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グランドキャニオン②

 私の目の前には今まで見たことのないような奇観が広がっている。ここが地球上であるとはとても信じられなくなる。見知らぬ惑星に不時着して、宇宙服のヘルメット越しに、悠久の時が刻んだ大峡谷を見おろしているような気さえする。
 小学館の『世界大百科事典』には、「コロラド川がコロラド高原を刻んだ峡谷で、谷の深さが1600m以上に達するところもある。多くの段丘をもつ絶壁が400km以上にわたって連続し異様な景観をなす」と記されている。その一番高い絶壁の一つに我々は立っている。下を見ると無数の段丘が、あるいは折れ曲がり、あるいは脈打ち、あるいは襞を成している。コロラド川は遥か下方をのたうち回っているようであるが、青く霞んでいて、よく見えない。高く低く連なる絶壁は赤い地肌をさらし、古代の地層を際立たせている。私が立っている断崖絶壁の左方には、いたずら好きの子供たちが小石を積んで作ったかに見える不安定な断崖絶壁があり、その上には無数のありみたいに小さい人々が入り乱れている。よくもあんなところまで出ていくものだと思うが、案外向こうでもこちらのことをそう思っているのかもしれない。段丘や絶壁の地肌をよく見ると、意外にもあちこちに草が生えている。白や黄色の小さな花を付けたのもある。砂漠にもこんなふうに草が生えていたが、グランドキャニオンにも生えているのである。これを見ると、私はビルの非常階段や道路の中央分離帯などに、したたかに根を張り葉を茂らせ花を咲かせる草を思い出す。彼らはグランドキャニオンの形成に少なからず貢献したであろう。彼らの根が岩盤の隙間にもぐり込めば、コロラド川による浸食作用の恰好の下ごしらえになったであろうからである。考えてみれば、日本の大都市を覆い尽くす高層ビルや鉄路、ハイウェイのジャングルなど、所詮バームクーヘンの表面を覆ったホワイトチョコレートのコーティングにすぎない。風と水と草が本気でその怪力を発揮すればいとも簡単にペリペリ剥がされてしまうのである。
 陽がかなり落ちてきた。右方には半島のような断崖絶壁を夕日が赤々と照らしているのがくっきり見える。陽の差した断崖は真っ赤に燃え上がっている。花や草木も燃えている。陽の当たらない絶壁にへばりついた茂みは深い海底の海藻のようだ。
 左方の遙か彼方の巨大半島に太陽がぶつかり、超新星爆発が起こる。目が眩む。赤く焼けた空が見る間に紫色に変わっていく。無数の段丘や絶壁の色も変わっていく。すっかり日が沈み終わったので、我々はホテル「マスウィック・ロッジ」に入った。ガーデンテラスでのしゃれたディナーが用意されていた。肉料理やパンを中心にした食事はとてもすばらしかった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 世界の街角から(アメリカ編)
◆ 執筆年 2020年1月10日
◆ 群馬県立太田高等学校『図書館だより』の「閑話 世界の街角」に 2017年9月から2020年1月まで連載した紀行文である。
 ただし2019年10月から2020年1月までは諸事情により図書館のコーナー掲示となった。