世界の街角から
(アメリカ編)

アメリカ旅行
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グランドキャニオン③

 第4日目 2008年8月13日(水)
 早暁ホテルを出て、マザーポイントまで歩いた。グランドキャニオンの御来光を拝むためだ。シャツを通り抜ける風が肌寒い。徐々に空の色が移り変わる。他には何もない自然の中で、他には何もすることがなく、ただひたすら人工物以外の物だけを見るという時間は、残念ながら私の生活の中にはまったくない。しかも、これは単なる人工物以外の物ではない。グランドキャニオンの朝日である。それも、つい半日前にグランドキャニオンの夕日を見たばかりだ。
 私は大企業やマスコミの創り出した無数の企画や商品を、当たり前のように消費することに慣れきっている。したがって、そういった企画や商品を、企業がどれほど刺激的に宣伝したとしても、もうすでにある種の免疫のようなものができあがってしまっているので、私の脳へ届く前には、その刺激がかなり弱まっているのである。そういうわけで、この旅が始まる前は、グランドキャニオンに行くことなど、私には少しも目新しく感じられなかった。行こうと思いさえすれば、大半の日本人にとって、いとも簡単に行くことができる場所だと思っていた。要するに、たいしたことはないと高をくくっていたのである。しかし、それは間違いだった。たしかに、その気になれば、エジプトのピラミッドにだって、スペインのサグラダ・ファミリアにだって、ローマのコロシアムにだって、中国の万里の長城にだって、容易に行くことができるだろう。日本の科学技術力と経済力がそれを可能にしてくれている。本気を出せば、旅行社のカウンター横に並んでいるパンフレットのすべての国を制覇することだって決して不可能ではない。しかし、私はまた現実を生きなければならない存在でもある。現実を生きるとは、要するに優先順位の高いものを選択しながら、それを実行に移すということの連続である。したがって、ピラミッドを見物するためにエジプトへ行くという選択肢が、現実生活の中で実行に移す段階に至ることは、やはりそうめったに訪れるものではないのである。
 以上のように考えると、私が勝手にありきたりだと思い込んでいた観光地というのは、本当はめったに訪れることのできない場所なのだ。ある意味受験生にとっての有名大学に似ている。マーチなんてありきたりだ。行こうと思えば行けるはずだ。大半の受験生はきっとそう思っているだろう。しかし、実際には、これがどうして、なかなか簡単ではない。グランドキャニオンやピラミッドと同じなのだ。テレビやネットなどが、なまじっか予備知識を与えるものだから、その気になりやすい私なぞは、半分ぐらいはすでに見てしまったのではないかという気にさせられてしまうが、実際はそうではない。やっぱりグランドキャニオンの夕日と朝日を見るのはものすごいことだ。グランドキャニオンから帰ってきて十年後の私は今しみじみとそう思う。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 世界の街角から(アメリカ編)
◆ 執筆年 2020年1月10日
◆ 群馬県立太田高等学校『図書館だより』の「閑話 世界の街角」に 2017年9月から2020年1月まで連載した紀行文である。
 ただし2019年10月から2020年1月までは諸事情により図書館のコーナー掲示となった。