芥川

2
「おじいさまとおっしゃいますと?」
「長良(ながら)ではなく良房(よしふさ)の方です」
貫之は首をかしげた。
すると、伊勢が身を乗り出した。
「あの、失礼ですが、貫之様は、枇杷殿(びわどの)と染殿(そめどの)のことは、ご存知ではありませんか」
「ああ、染殿というのはよく耳にしますね。しかし、枇杷殿というのは、ちょっと覚えが……」
伊勢は形のよい目を開けたまま、しばらく絶句した。
伊勢が何か言おうとして口を開きかけると、屈託のない笑い声がそれを遮った。
「ははははは――」
伊勢が忠平の顔を咎めるように見た。
「いいですね。貫之様、本当に、達観していらっしゃるのですね。ご想像していたとおりの、素晴らしい方です」
忠平は、誉めているのか、皮肉を言っているのか、よくわからないような、しかし、聞いていて、決していやな気のしない、不思議な話し方をした。
「歌の達人は、世俗のことにはあまり関心がないのですね」
伊勢は横を向いて、ぼそりと言った。やや貫之に軽侮の念を抱いたようである。
貫之は、伊勢のそんな態度には、まったく頓着しなかった。ただ、長良と良房の関係について、純粋に知りたい一心で、伊勢に迫った。
「失礼ですが、枇杷殿と染殿の関係を教えていただけませんか」
伊勢は、顔をしかめた。
「枇杷殿と染殿の関係なんて、……」
そんな常識的なことを、改まって教えてくれだなんて、とでも言いたそうだった。
すると、忠平がそのあとを引き継いだ。
「私の家のことですから、私が説明いたしましょう。まあ、本当に、私の家は、私が言うのも何ですが、込み入っていまして、本当に、困ったもんなんです」
困ったものだといいながらも、忠平の口調にはまったく屈託がなく、楽しい物語でも話して聞かせるように、藤原北家の成り立ちを説明した。
「私の本当の祖父は藤原長良と申し上げます。これが枇杷殿と呼ばれております。長良には子どもがたくさんおりまして、その中の三男が、私の父の基経です」
そこで、貫之が口を挟んだ。
「え? 基経様は良房様の子ではないのですか」
「そう、そこなんです。そこが、大変まぎらわしくて、世間の皆様を困らせております」
「いったいどういうことですか」
「では、良房の話をいたしましょう。良房は、私の祖父、長良の弟です。この弟には子どもがありませんでした。いや、一人だけいましたが、それは娘で、息子はなかったのです」
「いや、しかし、息子さんがいらっしゃらなかったら、どうしてあなた様の家系が、現在のように栄えていらっしゃるのでしょうか」
「そうなんです。息子がいないのに、私どもの家が途絶えていないのは、不思議ですよね。それについてですが、実は、息子のいない良房は、私の父を養子にしたのです。つまり、長良の三男の基経は、良房の養子になったというわけなんです」
貫之は膝をぽんと打った。
「なるほど。それで、忠平様が、良房様のお孫さんになるというわけですね」
「そうです。義理の孫です」
「これでわかりました。この歌は、忠平様の義理の祖父であらせられます良房様のものなのですね。それで、この歌について、どのようなご相談でしょうか。歌集に載せてほしいということでしょうか」
忠平は、大きく手を振った。
「まさか。私はそこまで図々しくはありませんよ。いや、兄の仲平ならなんと言うかわかりませんけどね」
顔を横に向けていた伊勢の顔が赤らんだ。しかし、忠平はそんなことには一向におかまいなしだった。貫之などは、伊勢の変化にさえ気付かなかった。
「私の家系に風流心が乏しいことは、この私が一番よくわかっております。ですから、こんな歌などどうでもいいのです。ただ、私が気になるのは、祖父の残した手紙です」
「長良(ながら)ではなく良房(よしふさ)の方です」
貫之は首をかしげた。
すると、伊勢が身を乗り出した。
「あの、失礼ですが、貫之様は、枇杷殿(びわどの)と染殿(そめどの)のことは、ご存知ではありませんか」
「ああ、染殿というのはよく耳にしますね。しかし、枇杷殿というのは、ちょっと覚えが……」
伊勢は形のよい目を開けたまま、しばらく絶句した。
伊勢が何か言おうとして口を開きかけると、屈託のない笑い声がそれを遮った。
「ははははは――」
伊勢が忠平の顔を咎めるように見た。
「いいですね。貫之様、本当に、達観していらっしゃるのですね。ご想像していたとおりの、素晴らしい方です」
忠平は、誉めているのか、皮肉を言っているのか、よくわからないような、しかし、聞いていて、決していやな気のしない、不思議な話し方をした。
「歌の達人は、世俗のことにはあまり関心がないのですね」
伊勢は横を向いて、ぼそりと言った。やや貫之に軽侮の念を抱いたようである。
貫之は、伊勢のそんな態度には、まったく頓着しなかった。ただ、長良と良房の関係について、純粋に知りたい一心で、伊勢に迫った。
「失礼ですが、枇杷殿と染殿の関係を教えていただけませんか」
伊勢は、顔をしかめた。
「枇杷殿と染殿の関係なんて、……」
そんな常識的なことを、改まって教えてくれだなんて、とでも言いたそうだった。
すると、忠平がそのあとを引き継いだ。
「私の家のことですから、私が説明いたしましょう。まあ、本当に、私の家は、私が言うのも何ですが、込み入っていまして、本当に、困ったもんなんです」
困ったものだといいながらも、忠平の口調にはまったく屈託がなく、楽しい物語でも話して聞かせるように、藤原北家の成り立ちを説明した。
「私の本当の祖父は藤原長良と申し上げます。これが枇杷殿と呼ばれております。長良には子どもがたくさんおりまして、その中の三男が、私の父の基経です」
そこで、貫之が口を挟んだ。
「え? 基経様は良房様の子ではないのですか」
「そう、そこなんです。そこが、大変まぎらわしくて、世間の皆様を困らせております」
「いったいどういうことですか」
「では、良房の話をいたしましょう。良房は、私の祖父、長良の弟です。この弟には子どもがありませんでした。いや、一人だけいましたが、それは娘で、息子はなかったのです」
「いや、しかし、息子さんがいらっしゃらなかったら、どうしてあなた様の家系が、現在のように栄えていらっしゃるのでしょうか」
「そうなんです。息子がいないのに、私どもの家が途絶えていないのは、不思議ですよね。それについてですが、実は、息子のいない良房は、私の父を養子にしたのです。つまり、長良の三男の基経は、良房の養子になったというわけなんです」
貫之は膝をぽんと打った。
「なるほど。それで、忠平様が、良房様のお孫さんになるというわけですね」
「そうです。義理の孫です」
「これでわかりました。この歌は、忠平様の義理の祖父であらせられます良房様のものなのですね。それで、この歌について、どのようなご相談でしょうか。歌集に載せてほしいということでしょうか」
忠平は、大きく手を振った。
「まさか。私はそこまで図々しくはありませんよ。いや、兄の仲平ならなんと言うかわかりませんけどね」
顔を横に向けていた伊勢の顔が赤らんだ。しかし、忠平はそんなことには一向におかまいなしだった。貫之などは、伊勢の変化にさえ気付かなかった。
「私の家系に風流心が乏しいことは、この私が一番よくわかっております。ですから、こんな歌などどうでもいいのです。ただ、私が気になるのは、祖父の残した手紙です」