芥川

芥川
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15

 水の流れが船を揺らしていた。櫂の音も混ざる。耳を澄まして貫之の声を聞く伊勢の呼吸の音も混ざる。
「やがて雷が鳴り雨がひどく降り出してきました。船頭は川の真ん中にある島に船を着けました。男は女を連れて森の中に入りました。すると、一軒のあばら屋があったので、男は女をそこへ入れ、自分は弓矢を持って、入口で見張っていました。ところが、そのあばら屋には鬼が住んでいました。鬼は女に気付くと、あっという間に捕まえて、一口で食べてしまいました。女は助けてと言って、男を呼んだのですが、雷の音がひどくて男には聞こえなかったのです。朝になって、男が家の中を見ると、女はいなくなっていました。その代わりに、女の衣(きぬ)を体に掛けて、鬼が寝ていました。男は鬼に食べられたのだと思うやいなや、矢を射て鬼を殺しました。男が鬼の首を持って、役所に届けると、国司はたくさんの褒美を与えました。その島は鬼ヶ島といって、近くに住む若い娘を襲っては食べていたので、この国の人はとても困っていたのでした。都に戻ると、男は鬼を退治した手柄によって、帝に取り立てられました。長い間帝の信任が厚かったので、男はついに左大臣になり、一族は末代まで繁栄を極めたということです」
 櫂の音が貫之の声に替わる。
「え? そういう終わり方なんですか」
「はい」
「とても面白かったです。でも、」
「でも、何ですか」
「話の展開が急だったので、驚きました」
「たしかに、ちょっと後半が慌ただしくなってしまいましたね。どうです? あなたがこの話を作り替えてみては?」
「え? そんなことをしてもよろしいのですか」
「ええ、構いませんよ」
「それでは、私は、もっと簡単にさせていただきますわ。船には乗らないで、男が女をおぶって、芥川のほとりを走っていくんです」
「うん、それはいいですね」
「で、草の露に月の光が当たって、きれいに輝くんです」
「はい」
「女はあれは何かしらって男に訊くの」
「はい」
「男は何も答えずに走り続けるわ」
「はい」
「夜が更けたので、あばら屋に泊まることにして、男は女を寝かして、自分は外で番をする」
「はい」
「女は鬼に食べられる。だけど、雷の音が大きくて男は気付かない」
「はい」
「朝になって男は地団駄を踏んで悔しがる」
「はい」
「おしまい」
「そうですね。そのぐらい簡潔にした方が、味わいがあっていいですね。さすが伊勢殿」
 伊勢は頬を染めた。
「貫之様のお話が上手だったからですわ」
 貫之はにこにこ笑っていた。
「しかし、最後に歌があるともっといいかもしれませんね」
「女が何かと訊いた露みたいに、女がはかなく消えてしまったという歌ですね」
「ええ、少しひねって、女がいなくなった今となっては、自分も露みたいに消えてしまいたいというのはどうでしょう」
「さすが貫之様。では、歌になさってくださいますか」
「いや、伊勢殿こそどうぞ」
「あ、ずるい」
「伊勢殿こそ」
「それでは、二人で一緒に考えましょう」
「先にできた方から歌うのですよ」
「いいわよ」
 水面が暗くなってきた。風が一層寒い。
「できましたよ」
「早いわね。どんなの?」
 貫之は穏やかな声で口ずさんだ。

白玉か何ぞと人の問ひし時つゆとこたへて消えなましものを

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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 芥川
◆ 執筆年 2021年10月10日