芥川

芥川
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18

 炭櫃(すびつ)や火桶(ひおけ)の炭がまたぱちぱち音を立てた。
「鯛をお持ちしました」
「おっ、鯛だ」
「大きい鯛だな」
「おいしそうですね」
 伊勢が箸を上手に使って、鯛の身を土器(かわらけ)に取り分けた。
「これはうまいな」
「山崎はよいですな。難波までの船便が多いから、魚も新鮮でございます」
「おや、道真殿は別の新鮮な魚が好きなのだと思っていたよ」
「上皇、何をおっしゃいますか」
「ハハハハハ」
 宇多上皇は、顔を貫之の方へ向けた。
「貫之殿、先ほどの話に戻るが、歌集については、私は関係ないことにしておいてくれないか」
「は?」
「つまり、主上の手柄にしておきたいのだ」
「ハッ、そのことでしたら、御意のままにいたしましょう」
「私は宮中に和歌に関する専門知識や資料を管轄する部署を設置したいと思っておる」
「御書所(ごしょどころ)の和歌版みたいなものでございましょうか」
「その通りだ。さしずめ和歌所(わかどころ)といったところかな」
 上皇は盃(さかずき)を干した。貫之はさっと瓶子(へいじ)を差し出した。
「どうだ、貫之殿、そのようなものを立ち上げてみないか」
「光栄でございます。しかし、私よりも適任者がいるのではないでしょうか」
「いや、君が最適だと思っておる」
「しかし、権大納言殿を筆頭に、紀友則(きのとものり)殿、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)殿、壬生忠岑(みぶのただみね)殿など、和歌の達人は多うございます」
「道真殿は現在国家の重責を担っているから無理だろう。凡河内躬恒殿は、私も少し考えている。実は彼も今日ここへ呼んである。じき来るだろう」
「それでは躬恒殿と共同で運営していくということでよろしいでしょうか」
「それでも構わないが、具体的にはいろいろな準備が整ったら君たちに示していくつもりだ。紀友則や壬生忠岑たちを呼んでもいいな。ただしあくまでも彼らを統括するのは君だ。君は歌の力はもちろんだが、それと同じぐらい編集能力に優れている。この仕事は編集能力が非常に重要だと思っている。どうか『万葉集』をしのぐ、歴史的な大作品集を作ってほしい。本当は今すぐにでもはじめたいところなのだが、それは難しい。政治が難しい時期なのだ。君も知っていると思うが、道真殿と時平殿があまり合わない。道真殿もいろいろ新しいことを始めたいのだが、なかなか大変でね。時平殿のご機嫌を伺うわけではないが、彼の気持ちを余計に刺激したくないのだ。まだ和歌というものがあまり世の中に認められていないこの時期に、勅撰和歌集を作るだとか、和歌所を設置するだとか、そういうことを議事に取り上げると、必ず文句を言う者が出るだろう。それも道真殿の管轄だということであれば、時平殿がやっきになって反対するのは必至だ。そこでだ、貫之君、君に時平殿を説得してもらいたいのだ。何、手はずは整えてあるから、心配はいらんよ」
「はい。謹んで承知致しました」
 貫之は手を突いて深々と頭を下げた。
「こちらでございます」
 水無瀬院に使われている女のあとから年配の実直そうな男性が入ってきた。上皇と親王に丁寧な挨拶をした後、道真、忠平、貫之、伊勢にも挨拶をした。凡河内躬恒だった。貫之は、二、三度顔を見たことがある程度だったが、歌はよく知っていた。対象を直接表現するのではなく、匂いや反射した映像などを用いて、間接的に表現する手法が非常に巧みであった。それに比べ自分の歌は、技巧的だがそれがともすると理屈っぽくて耳に触ることもあると考えている貫之は、やはりこの先輩には到底及ばないと思い、非常に尊敬しているのであった。
 酒がほどよく回ってきたころ、上皇が切り出した。
「和歌の大作品集の編集責任者は躬恒殿がいいと貫之殿は言うのだが、私の考えは少し違うのだ。躬恒殿はどう思う」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 芥川
◆ 執筆年 2021年10月10日