芥川

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19

 炭櫃(すびつ)や火桶(ひおけ)の炭が盛んに燃え上がり、酒宴はたけなわであった。いい匂いが漂う。
「山鳥の焼き物でございます」
 ほどよく焦げ目の付いた鳥の肉を串に刺したものが大きな器に並んでいる。
 躬恒(みつね)が口を開こうとすると上皇は制した。
「まあ躬恒殿、せっかく焼き立てが来ておるのだから、これを熱いうちに食べようではないか」
「ハッ」
 上皇が串を取ると、躬恒も串を取った。
 部屋の中は暑いくらいに暖かく、上皇は気分がよくなっていた。
「一つ連歌(れんが)でもやろうじゃないか」
 上皇に先陣を切るように言われ、困っていた道真がどうにか上の句を詠むと、忠平はそれに下の句を付けた。次に伊勢が上の句を詠むと、親王が応じた。
 続いて躬恒が上皇に促された。
「奥山に」
「うん、いいじゃないか」
「奥山に舟こぐ音の聞こゆなり」
「山の中で舟をこぐ音か。これは難しいな。貫之殿、どうする」
 困った貫之は、しばらく目の前の栗をにらんでいたが、やがて、
「春の句でなくてもよろしいでしょうか」
と訊いた。
「今夜は、余興だ。どんな季節でも構わん」
「なれる木の実やうみわたるらん」
「なるほど、木の実が熟したという熟みと海をかけたか、これは躬恒どの、してやられたな」
「はい、見事でございます」
「これも記録して、大作品集に載せた方がいいぞ、伊勢」
「はい、もう書いておりますわ」
「上皇」
 躬恒が呼び掛けた。
「何だ」
「先ほどのお話でありますが、和歌集の編集者はやはり御意の通り貫之殿が適任かと存じます。歌の力でも私は貫之殿に及びませんが、私が思いますところ、貫之殿は非常に理論的にものごとをお考えですので、編集という極めて理論的な仕事には大いに力を発揮されるのではないかと拝察致す次第でございます。これ以上に適任の方は京中を探しても見当たらないでございましょう」
「紀友則(きのとものり)や壬生忠岑(みぶのただみね)でもか」
「はい」
「そうか、これで安心した。あなたの考えは私とまったく同じだ。実は内々に主上とも相談したのだが、やはり同じことを言う。主上はまだ若いが、あなたたちの歌はいろいろ読んでいるのだ。それから、実は、紀友則殿、壬生忠岑殿にも話はしてある。もちろん、ここにいる道真殿、忠平殿、伊勢にも話をした。みんな口をそろえて貫之殿がいいと言うのだ。あとは躬恒殿の考えを聞くだけだったが、それは今聞いた。これはもう神が貫之殿に和歌集を編纂しろと御命じになっているようなものだな。貫之殿には東三条殿(ひがしさんじょうどの)の書庫の整理という仕事もあるようだが、早速明日から内々で和歌集作りを進めてもらうことにしよう。よいか、忠平殿」
「もちろんでございます。我が家の書庫の整理などはついでで結構ですし、いっそのことそんな仕事はうっちゃっておいても構いません」
「あ、それと、伊勢の物語の編集もやってもらわねばな。他に文学的な仕事はないかな、道真殿」
「そうですな。竹取の物語もこの機会にきちんとした形にまとめた方がよいかと思われます」
「それはいい考えだ。どうだ、貫之殿」
 貫之は、考えてもいなかった仕事が次から次へと降りかかってきたので、頭の中がごちゃごちゃになってきた。
「はい。ありがたい話でございますが、しかし、三ヶ月でそれだけの仕事がすべてできるかどうか」
「何、それまでに御書所(ごしょどころ)で、正式に今言った仕事が全部できるように、整備していこうじゃないか。それまでは少し辛抱して別院で仕事を進めておくのだ。伊勢も手伝うし、躬恒殿、友則殿、忠岑殿にも応援に行かせる」
「ハッ、かしこまりました」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 芥川
◆ 執筆年 2021年10月10日