芥川

21
女たちが酒をついだりはやり歌を歌ったりするうちに、男たちの酔いはかなり回ってきた。
道真は昔話を懐かしそうにしていた。
「山崎はいいだろう。俺の青春だからな。昔はもっと楽しかったよ。あの頃はまだ今みたいな世の中じゃなかったからな。業平殿ともよくここで遊んだよ。あの人も女が好きだったからね」
躬恒も酔いが回って、だいぶ砕けてきた。
「それで、権大納言殿、あれは本当なんでございましょうか、例の話ですがね」
「例の話?」
「ほら、業平殿が高子様のお部屋に忍んで行ったということがあったそうじゃないですか」
「ああ、高子様か。そりゃあ、あったんじゃないかな」
「ほう、そうですか。それでは、業平様が高子さまを連れ出して、逃げていったというのも本当ですか」
「そりゃ、どうかな。だいたいな、高子様のところへ忍んで行ったのは、何も、業平殿だけじゃないよ」
「え、そうなんですか」
「そりゃ、そうだよ。高子様というのは、男が好きなお方だからな」
「はあ、そうですか。しかし、そんなことはあまり聞きませんがね」
「そりゃ、そうだよ。お兄様の基経様が恐い人だったからね。通っていった男は、みんな別れさせられて、固く口止めされたんだよ」
「はあ、そうですか。さすが権大納言様はよくご存知ですな」
「まあ、そのぐらいのことはな」
躬恒はなおも知りたがって、細い目を道真の顔に近づけた。
「しかし、それほど固く口止めされているのに、なぜ広まったのでしょう」
女たちは皿や酒の代わりを運んだり、何かをつまんだりしている。貫之の隣に座った左戸(さと)という女は、新しく来た酒を貫之に注いだ。
「広まってはないよ。知ってるのは関係者だけだよ」
「どういうことですか」
「つまり、その、何だな、あの頃は俺も若かったからな」
「と仰いますと?」
「俺もまだ文章生(もんじょうせい)になったばかりだった」
「は?」
「十八ぐらいだったかな」
「いったいそれとどのような関係が」
「だからさ、俺も行ったんだよ」
「行ったと仰るのは、どこに」
「だから、高子様のところへだよ」
躬恒はしばらく考えて、目を大きくした。
「えっ! 権大納言様がですか。高子様のところへ?」
「ばか! 大きな声を出すな。誰かに聞かれたらどうする」
躬恒は身を乗り出した。
「それで、いかがでしたか」
「二十一だったよ」
「は?」
「だから二十一だったんだよ」
「何がでございますか」
「高子様のお年だよ」
「いえ、お年のことを訊いているのではございません。その、何ですか、そのときのご様子などは」
「いや、もう、本当にな、すばらしいお方だったよ」
「いや、もう少し具体的に仰っていただかないと」
「いや、もう四十年近く昔のことだから、細かいことは覚えておらんのだよ。しかし、私のような文章生まで迎えてくれたところをみると、高子様のところへ忍んで行った貴公子は多かったのではないかな」
「なるほど、そうでしたか。いやあ、今日は本当に珍しい話を聞くことができました」
「おい、躬恒君、このことは絶対に口外するなよ」
「承知致しております。私も一地方官の身、摂関家を怒らせて、不遇を託つのはどうあっても避けなければなりませんからな」
「貫之君も頼むぞ」
「もちろんでございます」
「おい、美野(みの)。部屋に行くぞ」
「はい、はい。大納言様」
道真は昔話を懐かしそうにしていた。
「山崎はいいだろう。俺の青春だからな。昔はもっと楽しかったよ。あの頃はまだ今みたいな世の中じゃなかったからな。業平殿ともよくここで遊んだよ。あの人も女が好きだったからね」
躬恒も酔いが回って、だいぶ砕けてきた。
「それで、権大納言殿、あれは本当なんでございましょうか、例の話ですがね」
「例の話?」
「ほら、業平殿が高子様のお部屋に忍んで行ったということがあったそうじゃないですか」
「ああ、高子様か。そりゃあ、あったんじゃないかな」
「ほう、そうですか。それでは、業平様が高子さまを連れ出して、逃げていったというのも本当ですか」
「そりゃ、どうかな。だいたいな、高子様のところへ忍んで行ったのは、何も、業平殿だけじゃないよ」
「え、そうなんですか」
「そりゃ、そうだよ。高子様というのは、男が好きなお方だからな」
「はあ、そうですか。しかし、そんなことはあまり聞きませんがね」
「そりゃ、そうだよ。お兄様の基経様が恐い人だったからね。通っていった男は、みんな別れさせられて、固く口止めされたんだよ」
「はあ、そうですか。さすが権大納言様はよくご存知ですな」
「まあ、そのぐらいのことはな」
躬恒はなおも知りたがって、細い目を道真の顔に近づけた。
「しかし、それほど固く口止めされているのに、なぜ広まったのでしょう」
女たちは皿や酒の代わりを運んだり、何かをつまんだりしている。貫之の隣に座った左戸(さと)という女は、新しく来た酒を貫之に注いだ。
「広まってはないよ。知ってるのは関係者だけだよ」
「どういうことですか」
「つまり、その、何だな、あの頃は俺も若かったからな」
「と仰いますと?」
「俺もまだ文章生(もんじょうせい)になったばかりだった」
「は?」
「十八ぐらいだったかな」
「いったいそれとどのような関係が」
「だからさ、俺も行ったんだよ」
「行ったと仰るのは、どこに」
「だから、高子様のところへだよ」
躬恒はしばらく考えて、目を大きくした。
「えっ! 権大納言様がですか。高子様のところへ?」
「ばか! 大きな声を出すな。誰かに聞かれたらどうする」
躬恒は身を乗り出した。
「それで、いかがでしたか」
「二十一だったよ」
「は?」
「だから二十一だったんだよ」
「何がでございますか」
「高子様のお年だよ」
「いえ、お年のことを訊いているのではございません。その、何ですか、そのときのご様子などは」
「いや、もう、本当にな、すばらしいお方だったよ」
「いや、もう少し具体的に仰っていただかないと」
「いや、もう四十年近く昔のことだから、細かいことは覚えておらんのだよ。しかし、私のような文章生まで迎えてくれたところをみると、高子様のところへ忍んで行った貴公子は多かったのではないかな」
「なるほど、そうでしたか。いやあ、今日は本当に珍しい話を聞くことができました」
「おい、躬恒君、このことは絶対に口外するなよ」
「承知致しております。私も一地方官の身、摂関家を怒らせて、不遇を託つのはどうあっても避けなければなりませんからな」
「貫之君も頼むぞ」
「もちろんでございます」
「おい、美野(みの)。部屋に行くぞ」
「はい、はい。大納言様」