芥川

34
時鳥は鋭く、何度も何度も鳴いた。橘の花が強く香った。橘の花だけではこれほど強い香りにはならない。高子(たかいこ)の香りだった。高子の袿(うちき)に焚きしめてある香りだった。良房はそのことに今まで気づかなかった。高子を意識しすぎて、高子に無意識に近づかないようになっていたのだ。近づけば自分の中にある思いに気づく。自分の中の何かがそう警告を発したのだろう。
(そうか、これだったのか。)
良房は謎が解けたときの喜びを味わった。それと同時に恐ろしいことになったと体が震えた。自分が抱きしめている橘の香りが高まっていくのが自分に昂揚感を与えた。
時鳥が鳴いていた。鋭く何度も鳴いていた。
私は毎夜毎夜高子の部屋に行った。
二人の話題は主に現実問題についてだった。主要点は単純かつ明快だった。二人が一つの家で暮らすことができるかということだった。内容は簡単だが実現は困難だった。しかし、その考えは私を若返らせた。その考えは私を幸福にした。その考えは私が持っている他の一切と交換してもまだあり余るほどのものを私に与えた。
「おじさん」
「何だ?」
「もうそうなっているんじゃないかしら」
「何だって?」
私は高子の言っていることがわからなかった。しかし、理解するのにそれほど時間を要しなかった。
(そうか、そう言えば、もうそうなっていた。)
彼女は今偶然私の家に来ていた。妹の家で問題を起こしたため、私が引き取らされたのだ。私の役目は監督のはずだった。しかし、監督として話す言葉が機縁で、私は彼女に対する古い感情を新しくした。家には他に誰もいなかった。妻はもう亡くなっていた。他に妻を取らなかった。養子の基経はすでに自分の邸を構えて、ここにはいなかった。高子をいまさら妻として迎えなくても一緒に暮らせる状況はすでにそろっていたのだった。これはありがたいと私は思った。神が私に与えてくれたのだと思った。そしてそれは誰にも妨げられることなくいつまでも続いた。もしかしたらこのままいつまでも続いていくのではないだろうかという気持ちにさえなりかけてきていた。基経が来るまでは……。
基経は来た。基経の顔を見た瞬間に私は私の甘さをすぐに了解した。私はつかの間の夢を見ていたにすぎなかった。夢でなければ物語だった。物語は終わらなければならなかった。終わらない物語はこの世界に一つも存在しない。いつか誰かが物語の終わりを告げる。いったい今までどれほどの人が私に物語の終わりを告げたろう。父の家で過ごした子ども時代の終わりを告げたのは誰だったろう。父だったかもしれない。母だったかもしれない。もうそれもはっきりとは覚えていない。低位でまだ重い責任はなかったが、その分自由に遊び歩くことができた若い時代の終わりを告げたのは誰だったろう。こちらの方ははっきり覚えていた。嵯峨天皇だ。潔姫(きよひめ)をいただいたときだ。潔姫と結婚し、役職も重くなり、私の力は強くなったが、かえって自由はなくなった。その後、静かだが平和な潔姫との生活の終わりを告げたのは誰だっただろう。加持祈祷をしてくれた僧正(そうじよう)だ。いや、待てよ、もっとずっと以前に潔姫自身が告げたのかもしれない。あるいは、私の兄の長良(ながら)かもしれなかった。そして、私と高子との二人の世界の終わりを告げるのは、間違いなく基経であろう。それ以外にはあり得ない。いや、もう基経は二人の物語の終わりを告げたのだ……。
良房は渡殿(わたどの)で風に吹かれた。陰になっているところから来たせいか、風は意外に寒々としていた。橘が陰のところで暗くなっていた。寂しそうに風に花びらを奪われていた。
五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
良房はこの歌が好きだった。「昔の人」は昔は初恋の相手だった。今は高子だった。
良房は高子の部屋に入った。
高子は硬くなっていた。すでに私が言うことを察知しているのだ。
(そうか、これだったのか。)
良房は謎が解けたときの喜びを味わった。それと同時に恐ろしいことになったと体が震えた。自分が抱きしめている橘の香りが高まっていくのが自分に昂揚感を与えた。
時鳥が鳴いていた。鋭く何度も鳴いていた。
私は毎夜毎夜高子の部屋に行った。
二人の話題は主に現実問題についてだった。主要点は単純かつ明快だった。二人が一つの家で暮らすことができるかということだった。内容は簡単だが実現は困難だった。しかし、その考えは私を若返らせた。その考えは私を幸福にした。その考えは私が持っている他の一切と交換してもまだあり余るほどのものを私に与えた。
「おじさん」
「何だ?」
「もうそうなっているんじゃないかしら」
「何だって?」
私は高子の言っていることがわからなかった。しかし、理解するのにそれほど時間を要しなかった。
(そうか、そう言えば、もうそうなっていた。)
彼女は今偶然私の家に来ていた。妹の家で問題を起こしたため、私が引き取らされたのだ。私の役目は監督のはずだった。しかし、監督として話す言葉が機縁で、私は彼女に対する古い感情を新しくした。家には他に誰もいなかった。妻はもう亡くなっていた。他に妻を取らなかった。養子の基経はすでに自分の邸を構えて、ここにはいなかった。高子をいまさら妻として迎えなくても一緒に暮らせる状況はすでにそろっていたのだった。これはありがたいと私は思った。神が私に与えてくれたのだと思った。そしてそれは誰にも妨げられることなくいつまでも続いた。もしかしたらこのままいつまでも続いていくのではないだろうかという気持ちにさえなりかけてきていた。基経が来るまでは……。
基経は来た。基経の顔を見た瞬間に私は私の甘さをすぐに了解した。私はつかの間の夢を見ていたにすぎなかった。夢でなければ物語だった。物語は終わらなければならなかった。終わらない物語はこの世界に一つも存在しない。いつか誰かが物語の終わりを告げる。いったい今までどれほどの人が私に物語の終わりを告げたろう。父の家で過ごした子ども時代の終わりを告げたのは誰だったろう。父だったかもしれない。母だったかもしれない。もうそれもはっきりとは覚えていない。低位でまだ重い責任はなかったが、その分自由に遊び歩くことができた若い時代の終わりを告げたのは誰だったろう。こちらの方ははっきり覚えていた。嵯峨天皇だ。潔姫(きよひめ)をいただいたときだ。潔姫と結婚し、役職も重くなり、私の力は強くなったが、かえって自由はなくなった。その後、静かだが平和な潔姫との生活の終わりを告げたのは誰だっただろう。加持祈祷をしてくれた僧正(そうじよう)だ。いや、待てよ、もっとずっと以前に潔姫自身が告げたのかもしれない。あるいは、私の兄の長良(ながら)かもしれなかった。そして、私と高子との二人の世界の終わりを告げるのは、間違いなく基経であろう。それ以外にはあり得ない。いや、もう基経は二人の物語の終わりを告げたのだ……。
良房は渡殿(わたどの)で風に吹かれた。陰になっているところから来たせいか、風は意外に寒々としていた。橘が陰のところで暗くなっていた。寂しそうに風に花びらを奪われていた。
五月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
良房はこの歌が好きだった。「昔の人」は昔は初恋の相手だった。今は高子だった。
良房は高子の部屋に入った。
高子は硬くなっていた。すでに私が言うことを察知しているのだ。