芥川

35
西対(にしのたい)の廂(ひさし)で高子は女房と籠(かご)を並べて見ていた。竹細工の小さな籠がいくつも並んでいた。
「見事なものだな」
高子は小ぶりなものを良房に持たせた。
「これなどはいかがです」
良房は目の高さに上げたり裏返してみたりしてじっくり見た。
「いやあ、これはすばらしい。お前が編んだのか」
高子は口もとに袖をやって笑った。
「まさか、私にはこのような才能はありません。若狭ですわ」
と言って、隣に座っている女房を見た。
「そうか、若狭が編んだのか、見事なものだねえ」
若狭は顔を赤くしてうつむいた。
「恐れ入ります」
とだけ、聞こえないような声で言って、頭を何度も下げた。
良房は高子に目配せをした。
高子はうなずいた。
「若狭、ちょっと、お願い」
「はい。かしこまりました」
若狭はてきぱきと支度を整えた。簡単な膳や酒なども運んできた。すべて済むと若狭は、
「失礼いたします」
と言って、頭を下げて、戸を閉めた。母屋(もや)のあちこちにある灯台が高子の薄色(うすいろ)の袿(うちき)を明るく見せた。
良房は酒を飲み、おどけてみせた。高子も楽しそうに食べ物をつまみ、その日にあったことなどを話した。
「お兄様が来たのでしょ」
枕を交わした後、良房が灯台の灯をじっと見つめていると、ふいに高子が切り出してきた。良房はどう切り出そうかと考えあぐねていたので、かえって、吹っ切れたような気がした。
「ああ、お前のことを話しに来た」
「清和帝に入内しろって言うんでしょ」
「ああ、私に説得するように言っていた」
「説得するの?」
「説得する」
「私と枕を交わせなくてもいいの?」
「いやだ」
高子はまた良房に近づいた。しばらく話を続けることはできなかった。
「私と一緒に暮らしたくないの」
高子は途中で話を再開した。
「暮らしたい」
「私も」
またしばらく話が途切れた。
「しかし、無理だ」
良房は気分がすっかり落ちついてから話を再開した。高子もすっかり気分が平生に戻っていた。
「私が清和帝に入内すれば何もかもが丸く収まるのね」
「まあ、そうだ」
「あなたはそれでいいの」
「いやだ」
良房はじっと灯台の灯を見た。
「でも、仕方ない」
「私は遠い国に行ってしまいたい」
良房は高子の目を見た。
「遠い国?」
「ええ、私は武士の家で暮らしたい」
「武士?」
「話を聞くと、憧れるの。質素で剛健で潔くて」
良房は黙って高子の話を聞いていた。高子が武士に憧れるのは、小さいころ乳母から聞いた物語の影響だった。
「格好いいのよ。家に侵入者が来ても、彼らは少しも慌てないの。親も子も郎等たちもお互いに何も声を掛け合わないのに、静かにしかも素早く行動を開始するの。連れだって馬を走らせたりしないわ。みんな全然別々の方向へ散っていくの。一人が相手を見つけると、いつの間にか、みんなそこへ来ているの。来ているといっても、誰も見えない。誰かが射かけると、誰かが別の方向から矢を放つ。四方八方から矢が飛んできて、敵は反撃する暇もないまま死んでいく。武士たちは何も言葉を交わさずに、散り散りになっていく。何事もないように家に戻り、何事もないような顔で、普段どおりの仕事を続ける。私、こういう人たちとこういう生活がしたいの」
良房は実は高子を変に思っていなかった。
「見事なものだな」
高子は小ぶりなものを良房に持たせた。
「これなどはいかがです」
良房は目の高さに上げたり裏返してみたりしてじっくり見た。
「いやあ、これはすばらしい。お前が編んだのか」
高子は口もとに袖をやって笑った。
「まさか、私にはこのような才能はありません。若狭ですわ」
と言って、隣に座っている女房を見た。
「そうか、若狭が編んだのか、見事なものだねえ」
若狭は顔を赤くしてうつむいた。
「恐れ入ります」
とだけ、聞こえないような声で言って、頭を何度も下げた。
良房は高子に目配せをした。
高子はうなずいた。
「若狭、ちょっと、お願い」
「はい。かしこまりました」
若狭はてきぱきと支度を整えた。簡単な膳や酒なども運んできた。すべて済むと若狭は、
「失礼いたします」
と言って、頭を下げて、戸を閉めた。母屋(もや)のあちこちにある灯台が高子の薄色(うすいろ)の袿(うちき)を明るく見せた。
良房は酒を飲み、おどけてみせた。高子も楽しそうに食べ物をつまみ、その日にあったことなどを話した。
「お兄様が来たのでしょ」
枕を交わした後、良房が灯台の灯をじっと見つめていると、ふいに高子が切り出してきた。良房はどう切り出そうかと考えあぐねていたので、かえって、吹っ切れたような気がした。
「ああ、お前のことを話しに来た」
「清和帝に入内しろって言うんでしょ」
「ああ、私に説得するように言っていた」
「説得するの?」
「説得する」
「私と枕を交わせなくてもいいの?」
「いやだ」
高子はまた良房に近づいた。しばらく話を続けることはできなかった。
「私と一緒に暮らしたくないの」
高子は途中で話を再開した。
「暮らしたい」
「私も」
またしばらく話が途切れた。
「しかし、無理だ」
良房は気分がすっかり落ちついてから話を再開した。高子もすっかり気分が平生に戻っていた。
「私が清和帝に入内すれば何もかもが丸く収まるのね」
「まあ、そうだ」
「あなたはそれでいいの」
「いやだ」
良房はじっと灯台の灯を見た。
「でも、仕方ない」
「私は遠い国に行ってしまいたい」
良房は高子の目を見た。
「遠い国?」
「ええ、私は武士の家で暮らしたい」
「武士?」
「話を聞くと、憧れるの。質素で剛健で潔くて」
良房は黙って高子の話を聞いていた。高子が武士に憧れるのは、小さいころ乳母から聞いた物語の影響だった。
「格好いいのよ。家に侵入者が来ても、彼らは少しも慌てないの。親も子も郎等たちもお互いに何も声を掛け合わないのに、静かにしかも素早く行動を開始するの。連れだって馬を走らせたりしないわ。みんな全然別々の方向へ散っていくの。一人が相手を見つけると、いつの間にか、みんなそこへ来ているの。来ているといっても、誰も見えない。誰かが射かけると、誰かが別の方向から矢を放つ。四方八方から矢が飛んできて、敵は反撃する暇もないまま死んでいく。武士たちは何も言葉を交わさずに、散り散りになっていく。何事もないように家に戻り、何事もないような顔で、普段どおりの仕事を続ける。私、こういう人たちとこういう生活がしたいの」
良房は実は高子を変に思っていなかった。