芥川

芥川
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 川を静かに船が下る。男が船縁に腰掛けて波を見ている。顔が長い。
「どうした?」
 別の男が声をかける。こちらは顔が丸い。二人はこれから吹田に遊びに行くのだ。吹田は遊女屋がたくさんあり、このような男たちが京からたくさん来る。
「意外と吹田は遠いなあと思ってさ」
「腹でも空いたか」
「まずいしゃれだな」
「いや、俺も腹が空いて仕方ねえんだよ」
「お前さんたち、知らねえのかい?」
 二人は驚いて後ろを振り向いた。細い男が立っていた。
「知らねえって、何をだい?」
 丸顔が細い男を値踏みするように見た。
「そうか、この船に乗るのは初めてなんだな」
「そうなんだよ」
「もう少しするとな、物売りの船がたくさん寄ってくるぞ」
「ほんとか!」
「ああ」
 顔の長い男は、川のあちこちをきょろきょろ見回した。
「来ないぞ」
「そんなにすぐ来るものかよ。まあ、話でもしてれば、そのうち来るからよ」
「しかし、俺は、早く何か食べたいんだ」
「まあ、ちょっと待てよ。ところで、お前さんたち吹田に遊びに行くのか。俺はいい店知ってるぞ」
「本当か!」
「ああ、紹介してやろうか」
「ぜひ頼む。あてがないもんだから、困っていたんだよ」
 顔の長い男が細い男と夢中で話していると、丸い顔の男が、長い男の肘をつついた。
「何か聞こえてきたぞ」
「お、来たみたいだな」
 細い男が川に身を乗り出した。
 暗い川に灯がちらちらしてきた。見る間にいくつもの小さな船が四方から取り囲み、鍵の付いた縄を引っかけて、定期船に取り付いた。
「くらわんか、くらわんか」と口々に叫んでいる。
「何て言ってるんだ?」
「あれは、くらわんかと言ってるんだ。ちょっと乱暴だがな、この辺りの名物だよ」
「へえー、変わってるな」
 何隻もの物売りの船は、定期船の客に椀を渡していた。定期船内は急に活気づいた。皆食べることに夢中で、定期船からそっと物売りの船に乗り移った男女に気づいたものは誰もいなかった。
「ああ、腹一杯になった」
 顔の長い男が苦しそうに腹をさすった。
「お前、そんなに食ったら吹田で何も入らねえぞ」
 丸顔はあざ笑うような目で見た。
「吹田では食わなくてもいいよ。きれいな女がいればな」
「吹田はうまいものがたくさんあるんだがなあ」
 細い男が吹田の名物を説明し始めた。
「三島ー!」
 船頭が大きな声を張り上げた。
 話に夢中になっていた丸顔の男は驚いた。
 降りる客を押し返しながら刀を持った武士たちが船に近づいた。
「皆の者、申し訳ないが、人を探しておる。少しだけ協力願いたい」
 武士たちは乗客一人一人の顔を人相書きと見比べて回った。男と女が乗っていなかったかと訊いて回る者もいた。
 船頭から話を聞いていた武士がいきなり大声を出した。
「それでその二人はどこへ行ったんだ」
 船頭は困り果てた顔で同じことを繰り返した。
「おかしいなあ、こちらの垂れ幕で仕切りを作って、その中にたしかにさっきまでいたはずなんですがねえ。さっき、私は様子を見に行ったんですよ」
「お前は、その二人にたんまり握らされて、逃がしてやったんじゃないのか。嘘をつくと生きて帰れんぞ」
「いや、滅相もない。私は本当に何もわからねえんですよ」
 武士は川を見て考えた。遠くに物売りの船の灯が見える。芥川を遡っていた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 芥川
◆ 執筆年 2021年10月10日