芥川

42
芥川に沿った暗い野原を馬が一騎駆けている。月が白い。若く精悍な男が前屈みで鞭を当てている。若い女が男の腰を抱いている。月が二人の影を白茶けた地面に落としている。影を見ると、男が女をおぶっているように見える。
草原の向こうから波が来る。初めは小さかったが、次第に大きくなると、それは一団の騎馬武者だった。騎馬隊は二人の馬を取り囲んだ。誰も何も言わない。離れたところから見ていると、遊牧民族が夜のうちに豊かな土地めがけて移動しているみたいだった。
「止まれ」
二人の横に付いた日に焼けた男が刀を抜いて、高く上げた。
二人は何も言わない。
「止まらないと切るぞ」
二人は男の方を見ようともしない。
男は刀を持つ手に力を入れた。
「早まるな」
男の横から低い声がした。年配で思慮深い様子の男だった。
「しかし」
「高子様にお怪我があったらどうする?」
「それは……」
男の刀を持つ手が下がった。
「では、どうすればよいですか」
日に焼けた男が年配の男の顔を見た。
「それに……」
年配の男は遙か前方を指さした。
「お前にはあれが見えぬか」
日に焼けた男は年配の男が指さす方向に目をこらした。
火がいくつも見えてきた。それはすぐに近づいた。無数の馬と武者が丸太を組んだ長い柵の前に待ち構えていた。男女の馬はその武者たちの中に止まった。追っ手の武士たちは、離れたところにまとまって止まった。
両陣営は向かい合ったまま黙っていた。しかし、やがて柵を作った武士たちの中から、堂々とした男が出てきた。
「摂津守の命令で、人を探している」
柵を作っていたのは、摂津の武士であった。つまり、良房の配下である。
「あなたたちはここに何をしに来た?」
日に焼けた男が摂津の武士の前に進んだ。
「私は良房様のご命令で、姪御の高子様を探しています」
「何? あなたたちも良房様のご命令で高子様を探しておられるのか? 不思議なことだ。実は私たちも良房様から高子様を探すよう仰せつかっておる。しかし、見たところあなたたちは東国のお方とお見受けするが」
「いかにも私たちは東国の者です」
「東国の侍方が、なぜ良房様の命を受けましたか」
「それはこういうことです。良房様がご子息の基経様に下命し、そして、基経様から私どもに命が下ったのです」
「してみれば、あなたたちは基経様のご家人か」
「いかにも」
「それにしても、あなたちはこの二人を追っているように見えましたが」
摂津の武士は馬から下りた男女を指さした。
「左様。あのお二人は、私どもの調べでは、高子様と在原業平様であることがわかっております」
摂津の武士は笑った。
「この二人は私の子どもです」
馬から下りた二人が東国の武士の前まで歩いてきた。若い男の方はいかにも武士だった。女の方もいかにも武士の娘だった。どう見ても貴公子とお姫様ではない。
東国の武士は手のひらでぴしゃりと額を叩いた。
「これはいったい何としたことか。いったいどこで入れ替わったのやら」
「芥川を遡っていた物売りの船が岸に着いて、そこから男女が馬に乗ったので、てっきり」
日に焼けた男が小さくなっていた。
「しかし、もう摂津の領内ですから、お二方を探すのは、摂津の者にお任せあれ」
「いや、しかし……」
「ここは良房様の荘園ですぞ」
年配の男はまだ何か言おうとしたが、結局あきらめて部下たちに退却を命じた。
草原の向こうから波が来る。初めは小さかったが、次第に大きくなると、それは一団の騎馬武者だった。騎馬隊は二人の馬を取り囲んだ。誰も何も言わない。離れたところから見ていると、遊牧民族が夜のうちに豊かな土地めがけて移動しているみたいだった。
「止まれ」
二人の横に付いた日に焼けた男が刀を抜いて、高く上げた。
二人は何も言わない。
「止まらないと切るぞ」
二人は男の方を見ようともしない。
男は刀を持つ手に力を入れた。
「早まるな」
男の横から低い声がした。年配で思慮深い様子の男だった。
「しかし」
「高子様にお怪我があったらどうする?」
「それは……」
男の刀を持つ手が下がった。
「では、どうすればよいですか」
日に焼けた男が年配の男の顔を見た。
「それに……」
年配の男は遙か前方を指さした。
「お前にはあれが見えぬか」
日に焼けた男は年配の男が指さす方向に目をこらした。
火がいくつも見えてきた。それはすぐに近づいた。無数の馬と武者が丸太を組んだ長い柵の前に待ち構えていた。男女の馬はその武者たちの中に止まった。追っ手の武士たちは、離れたところにまとまって止まった。
両陣営は向かい合ったまま黙っていた。しかし、やがて柵を作った武士たちの中から、堂々とした男が出てきた。
「摂津守の命令で、人を探している」
柵を作っていたのは、摂津の武士であった。つまり、良房の配下である。
「あなたたちはここに何をしに来た?」
日に焼けた男が摂津の武士の前に進んだ。
「私は良房様のご命令で、姪御の高子様を探しています」
「何? あなたたちも良房様のご命令で高子様を探しておられるのか? 不思議なことだ。実は私たちも良房様から高子様を探すよう仰せつかっておる。しかし、見たところあなたたちは東国のお方とお見受けするが」
「いかにも私たちは東国の者です」
「東国の侍方が、なぜ良房様の命を受けましたか」
「それはこういうことです。良房様がご子息の基経様に下命し、そして、基経様から私どもに命が下ったのです」
「してみれば、あなたたちは基経様のご家人か」
「いかにも」
「それにしても、あなたちはこの二人を追っているように見えましたが」
摂津の武士は馬から下りた男女を指さした。
「左様。あのお二人は、私どもの調べでは、高子様と在原業平様であることがわかっております」
摂津の武士は笑った。
「この二人は私の子どもです」
馬から下りた二人が東国の武士の前まで歩いてきた。若い男の方はいかにも武士だった。女の方もいかにも武士の娘だった。どう見ても貴公子とお姫様ではない。
東国の武士は手のひらでぴしゃりと額を叩いた。
「これはいったい何としたことか。いったいどこで入れ替わったのやら」
「芥川を遡っていた物売りの船が岸に着いて、そこから男女が馬に乗ったので、てっきり」
日に焼けた男が小さくなっていた。
「しかし、もう摂津の領内ですから、お二方を探すのは、摂津の者にお任せあれ」
「いや、しかし……」
「ここは良房様の荘園ですぞ」
年配の男はまだ何か言おうとしたが、結局あきらめて部下たちに退却を命じた。