芥川

47
雷がまた落ちた。雨が滝のように落ちてくる。いかめしい武者たちが戸口に集まり、大きな声を出している。
「基経様の使いの者でございます。高子様をお迎えに上がりました」
戸口の前に横一列に並んでいる武者たちが一斉にお辞儀をした。
「これは基経様のお使いの方々、ご苦労様でございます。ご安心召され。我らが既に高子様を保護いたしております。どうぞ中へ。ご案内いたします」
「それには及びませぬ。高子様がこちらへいらっしゃるとうかがい、安心いたしました。基経様はこの近くのお知り合いのところにて待機しておられます。これから若い者をお迎えに行かせますので、それまでの間、しばし軒下で待たせていただけませんか」
「もちろんです。しかし軒下ではこのひどい雨を防げませんし、寒うございますので、どうぞ中へ入ってください。狭苦しいところですが、温かい飲み物なども用意しておりますので」
「それはかたじけない。では、お言葉に甘えて」
東国の武士の頭が全員に中に入るよう指示した。そのうちの二人には外へ行くよう命じた。指名された二人は素早い動きで馬にまたがり、鞭を一当てしたと思うと、もう滝のような雨の向こうに消えていた。
一方、摂津の武者たちは、一列に並んだまま、警護を続けた。そのうちの一人が自分の頭に近づいた。若々しくたくましい体つきである。
「京の良房様に基経様がお見えになることをお伝えに参りましょう」
「そうしてくれ。では、こいつを連れていけ」
頭は荒々しく一人の武者の臂を引き寄せた。武者の雨に濡れた顔が若い武者の方を向いた。年配だが、顔付きがどことなく優美である。業平であった。
「かしこまりました」
そう言うと若い男は業平を引っ張って行った。やがて二人を乗せた二頭の馬は雨中に消えた。その間、二人を見ていた東国の武者は、誰も疑念を抱かなかった。疑念を抱かなかったどころか、お役御免とばかりに、緊張を一時に解き、室内の暖かさとよい匂いに心を奪われていた。
雷はやんだ。雨もやんだ。夏の夜の匂いが戻っていた。木々の梢から雫が垂れた。基経は濡れた頭に手をやった。もう笠は脱いでいた。兄の国経はまだ笠をかぶっていた。
「騒がしいですね」
基経は農家に赤々と灯が灯り人々の声が漏れるのをいぶかしく思った。
「本当にあの家なのか」
東国の武者は馬を急がせていた。
「はい。高子様を保護したと聞いて、祝宴をしているのでしょう」
東国の武者は早く酒を飲みたいのだった。
「そうだろうな、早く私も混ざりたいものだ。お前たちも大いに飲め」
「ありがとうございます」
二人の武者は国経の横に並んだ。国経は二人と女の話を始めた。
基経は無言だった。馬を下りても無言だった。兄と二人の武者が摂津の武者に温かく迎えられ、うれしそうに奥に急いでも、基経は無言だった。奥の東国の武者が集まっている部屋に入り、赤くなった頭の顔を見て初めて口を開いた。
「業平殿は?」
頭は基経の静かな一言に笑みをなくした。
「業平様は、……おそらく高子様とご一緒ではないかと……」
「確かめたのか?」
「いえ、高子様がご無事と聞き、つい……」
基経は冷たい目で武者たちを見回した。
「基経、まあ、それはあとで確認すればよい。私たちも馳走にあずかろうではないか」
国経から離れて基経は摂津の頭を呼んだ。
飛んできた。
「業平殿は?」
「いえ、高子様はお一人でこちらに来ました。若狭という女房が一緒ですが」
基経はそれから聞き回った。すぐに摂津の者が二人で良房のところへ走ったことがわかった。
「逃げられた……」
「基経様の使いの者でございます。高子様をお迎えに上がりました」
戸口の前に横一列に並んでいる武者たちが一斉にお辞儀をした。
「これは基経様のお使いの方々、ご苦労様でございます。ご安心召され。我らが既に高子様を保護いたしております。どうぞ中へ。ご案内いたします」
「それには及びませぬ。高子様がこちらへいらっしゃるとうかがい、安心いたしました。基経様はこの近くのお知り合いのところにて待機しておられます。これから若い者をお迎えに行かせますので、それまでの間、しばし軒下で待たせていただけませんか」
「もちろんです。しかし軒下ではこのひどい雨を防げませんし、寒うございますので、どうぞ中へ入ってください。狭苦しいところですが、温かい飲み物なども用意しておりますので」
「それはかたじけない。では、お言葉に甘えて」
東国の武士の頭が全員に中に入るよう指示した。そのうちの二人には外へ行くよう命じた。指名された二人は素早い動きで馬にまたがり、鞭を一当てしたと思うと、もう滝のような雨の向こうに消えていた。
一方、摂津の武者たちは、一列に並んだまま、警護を続けた。そのうちの一人が自分の頭に近づいた。若々しくたくましい体つきである。
「京の良房様に基経様がお見えになることをお伝えに参りましょう」
「そうしてくれ。では、こいつを連れていけ」
頭は荒々しく一人の武者の臂を引き寄せた。武者の雨に濡れた顔が若い武者の方を向いた。年配だが、顔付きがどことなく優美である。業平であった。
「かしこまりました」
そう言うと若い男は業平を引っ張って行った。やがて二人を乗せた二頭の馬は雨中に消えた。その間、二人を見ていた東国の武者は、誰も疑念を抱かなかった。疑念を抱かなかったどころか、お役御免とばかりに、緊張を一時に解き、室内の暖かさとよい匂いに心を奪われていた。
雷はやんだ。雨もやんだ。夏の夜の匂いが戻っていた。木々の梢から雫が垂れた。基経は濡れた頭に手をやった。もう笠は脱いでいた。兄の国経はまだ笠をかぶっていた。
「騒がしいですね」
基経は農家に赤々と灯が灯り人々の声が漏れるのをいぶかしく思った。
「本当にあの家なのか」
東国の武者は馬を急がせていた。
「はい。高子様を保護したと聞いて、祝宴をしているのでしょう」
東国の武者は早く酒を飲みたいのだった。
「そうだろうな、早く私も混ざりたいものだ。お前たちも大いに飲め」
「ありがとうございます」
二人の武者は国経の横に並んだ。国経は二人と女の話を始めた。
基経は無言だった。馬を下りても無言だった。兄と二人の武者が摂津の武者に温かく迎えられ、うれしそうに奥に急いでも、基経は無言だった。奥の東国の武者が集まっている部屋に入り、赤くなった頭の顔を見て初めて口を開いた。
「業平殿は?」
頭は基経の静かな一言に笑みをなくした。
「業平様は、……おそらく高子様とご一緒ではないかと……」
「確かめたのか?」
「いえ、高子様がご無事と聞き、つい……」
基経は冷たい目で武者たちを見回した。
「基経、まあ、それはあとで確認すればよい。私たちも馳走にあずかろうではないか」
国経から離れて基経は摂津の頭を呼んだ。
飛んできた。
「業平殿は?」
「いえ、高子様はお一人でこちらに来ました。若狭という女房が一緒ですが」
基経はそれから聞き回った。すぐに摂津の者が二人で良房のところへ走ったことがわかった。
「逃げられた……」