芥川

芥川
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 夏の月が窓にあった。やっとしのぎやすくなった。ひどい車の揺れも心地よかった。良相は計算を続けていた。良房の言葉をどの程度信じていいのかわからなかった。しかし自分にはいい条件がずいぶんそろった。
 藤原冬嗣の子は長良、良房、良方、良輔、順子と続き、その次が良相である。長良は不遇であった。良房にだけでなく、十歳以上年少の良相にも昇進を追い越された。最高位は権中納言であった。長良は六年前に死んだ。奇しくも良房の妻潔姫と同じ年に死んだ。長良は初めから良相の敵ではない。しかし長良の子どもたちとなると、それは別の話だ。長良の子は国経、遠経、基経と続く。離れて高子もいる。長男の国経、次男の遠経は問題にはならない。問題は基経と高子である。基経は良房の養子になり、重要な存在になった。良相は良房が太政大臣になったあと、良房の後を継いで右大臣になった。良房は高齢である。いつどうなるかわからない。良相は現在四十九歳。まだまだ気力も体力も衰えていない。良房の後、太政大臣を継いで、自分の構想を現実に移すことができるはずである。これからの日本は良相が変えていかなければならない。その筋書きを進めるに当たって最大の不安要素は、良房の養子の基経と高子である。基経は二十六歳にして、すでに蔵人頭兼左近衛少将である。高子は清和天皇が即位するやいなや五節舞姫を務めた。これは入内し女御になることが確実であるということだ。皇子が生まれれば太政大臣の養子であるから、当然皇后になるであろう。良房は自分が死ぬ前に基経の昇進を早めるのではないか。良房が死んだとき、太政大臣を継ぐのは、良相ではなく、基経なのではないか。基経は太政大臣になった後、妹の子を即位させ、思い通りの政治を行うのではないか。こうなると良相の筋書きは完全に狂う。良相はこのところずっとこのことで頭を悩ませていたのである。
 しかし転機が訪れた。しかも自ら策を巡らせたわけでも何でもなく、自然に訪れたのである。高子がやってくれた。まあ、高子は何かやってくれるような気はしていたのである。業平との噂が広まったときは、どんどんやれと密かに思っていたが、順子と良房が早々と鎮火してしまった。これはもうだめだと思った。良房が締めればいかにじゃじゃ馬の高子も大人しくなるしかない。そう思っていたらである。高子が業平と駈け落ちをした。よりによって良房の家から盗み出したのである。これを痛快と言わずして何を痛快と言うのか。兄の基経たちも慌てて走り回った。大笑いである。近年まれに見る痛快事である。良房も基経もこれで終わったなと思うと、笑いをこらえることができなかった。しかも基経は虎の子の東国武士を大っぴらに使った。誰がどの荘園から寄進を受けるかは一族の会合で決定しなければならない。個人が勝手に寄進を受けたら収拾がつかなくなるからだ。つまり荘園の配分は良房の裁断事項なのである。それなのに基経は養父の良房に無断で寄進を受けた。死に損ないと将来有望な若者を比べて、東国武士は判断を下したのだろう。それに藤原氏は東国武士など相手にしない。基経は一族の会合で脚下されるのは火を見るより明らかと思い、勝手に決断したのだろう。そういう基経の問題行動も業平事件は浮き彫りにしたのである。良房はさぞ困り果てたことだろうと思っていたのである。
 ところがやつらを呼んで話を聞くと、今回のことは何でもないことになってしまったのは、いったいどうしてなんだろう。良房は自分が死ぬ前に身辺整理を思い立った。まず太政大臣は良相に受け渡す。清和天皇への入内も高子にはさせず、良相の娘の多美子にさせる。高子は業平との噂で気落ちしているので、静観する。東国に荘園を持つことは以前から考えていた。良相に太政大臣を渡し多美子に皇后を渡しても、基経に東国、高子に摂津をやれば、二人はそれで満足だという。今回高子が摂津に行ったのは、将来の領地への挨拶で、業平は同行していない。世間が騒いだので基経は東国武士を使ったが、これは東国武士の力を試す目的があり、良房も了承していたという。
 良相は考えたが、もう疲れた。それに良房の言うとおりにしても誰も損をしない。それに何と言っても自分は一人勝ちなのだ。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 芥川
◆ 執筆年 2021年10月10日