芥川

52
夜も更けた。左大臣は車に揺られた。今日の議事について考えた。天皇の詔勅はもっともである。国司たちの意見は左大臣に示唆を与えるものであった。この国は変わっていかなければならない。中央集権の秩序を取り戻さなければならない。そのためには公卿と武士のもたれ合いを解消することだ。しかしこれはそう簡単ではない。藤原氏を説き伏せなければならないからだ。自分は左大臣として大きな役目を果たす必要があるだろう。大きなハードルは良房だ。次は基経だ。しかしわからない。左大臣源信(みなもとのまこと)は固く目をつぶり腕組みをした。太政大臣良房は病気を理由にこのところ家に引きこもっている。蔵人頭基経は淡々と職務をこなし、意見らしい意見も言わない。その代わりに朝廷の中心になっているのが右大臣良相と中納言善男だ。二人はもう天下人のような振る舞いをしている。良相の娘多美子の入内が決まり、その一方で良房の養子の高子の入内が取りやめになったということからも、政界の風向きが大きく変わったのは明らかである。現に世間の人々は良相になびいている。良相と善男は政治改革に着手し始めている。そもそも今日の議事に参議以外の者を参加させようとしたのは二人だ。天皇の詔勅も良相が起草したものだ。この国はどうやら変わっていくようだ。しかしわからない。藤原氏の統括者が良房から良相に代わり、良相が国政改革を断行するなら、良相を補佐すればいいだけのことだ。問題解決は思ったより容易かもしれない。しかし果たしてそんな単純なことなのだろうか。良房は一筋縄でいく相手ではない。確かに高齢であり病気も本当であろう。しかし彼の芝居は念が入っている。良相と善男にしばらく好きなようにやらせておいて、くるっと逆転することだって大いにありうる。それを考えると良相側につくことは慎重でなければならない。それにそもそも良房自身がかねてから公卿と武士のもたれ合いを解消したいと言っているのである。それが芝居だとしても、公言していることであるからには、これをもって良房と良相の対立軸ととらえることは危険だ。読み誤ってはいけない。良房がまた出てきたときに彼の補佐ができる環境は作っておいた方がいい。彼の国政改革の真意を考えておくべきだろう。やはり良房だ。それと基経だ。世間の流れは良相に向いているが、自分は良房、基経につこう。良房の真意を探るいい手があるといいのだが。
そう考えていると車が急に止まった。
「どうした」
すぐに足音が近づいた。
「大路で不審な車が止まっております」
「不審な車?」
「盗賊に女房の車が襲われていると思われます」
「盗賊は何人だ?」
「三人です」
「では私も出よう」
「いえ、殿はこちらでお待ちください」
しかし、信は外へ出て刀を抜いた。信が先頭に立った。盗賊は黒い衣装から目だけ出していた。その殺気にもひるまず信は言った。
「左大臣源信だ。武器を捨ててうつ伏せになれ」
賊たちは信の名前を聞くと、驚いて武器を投げ捨て、走った。馬に乗ると、小路に消えてしまった。
「殿、追いかけますか」
「いや、やめておこう。検非違使に報告しろ。お前は車の中を確かめろ」
随身たちは行動を始めた。
「女房が泣いております」
信は車の中をのぞいた。美しい女が顔を伏せて泣いていた。長い時間をかけて話を聞くと、良房の家に仕えている女房だった。これは良房と話をする好機であると思った。
「今日はうちに連れていこう。太政大臣邸には明日届けると伝えろ」
「かしこまりました」
信は自邸で長い時間女房の話を聞いた。賊には犯されていないことがわかった。しかし女房は賊に犯されたと噂され、自分の人生は終わるに違いないと恐れた。信は明日良房のところへ一緒に行き、自分の邸に引き取りたいと言うつもりだと言った。上総という女房はやっと安心した様子を見せた。
そう考えていると車が急に止まった。
「どうした」
すぐに足音が近づいた。
「大路で不審な車が止まっております」
「不審な車?」
「盗賊に女房の車が襲われていると思われます」
「盗賊は何人だ?」
「三人です」
「では私も出よう」
「いえ、殿はこちらでお待ちください」
しかし、信は外へ出て刀を抜いた。信が先頭に立った。盗賊は黒い衣装から目だけ出していた。その殺気にもひるまず信は言った。
「左大臣源信だ。武器を捨ててうつ伏せになれ」
賊たちは信の名前を聞くと、驚いて武器を投げ捨て、走った。馬に乗ると、小路に消えてしまった。
「殿、追いかけますか」
「いや、やめておこう。検非違使に報告しろ。お前は車の中を確かめろ」
随身たちは行動を始めた。
「女房が泣いております」
信は車の中をのぞいた。美しい女が顔を伏せて泣いていた。長い時間をかけて話を聞くと、良房の家に仕えている女房だった。これは良房と話をする好機であると思った。
「今日はうちに連れていこう。太政大臣邸には明日届けると伝えろ」
「かしこまりました」
信は自邸で長い時間女房の話を聞いた。賊には犯されていないことがわかった。しかし女房は賊に犯されたと噂され、自分の人生は終わるに違いないと恐れた。信は明日良房のところへ一緒に行き、自分の邸に引き取りたいと言うつもりだと言った。上総という女房はやっと安心した様子を見せた。