芥川

58
室内は広々としてすっきりしていた。余分なものは何もない。卓と櫃だけがあった。
「すっきりとして居心地のよい部屋でございますね」
「私は必要のないものは持たない主義ですのでね」
「私もいつかこのような生活をしてみたいです」
「私は必要なことだけをするつもりです」
「必要なことだけ?」
「荘園の廃止は理想です。しかし日本中の人々はそれを希望していないでしょう。人々が希望していないのに、朝廷の理屈で実行すれば、人心は離れます。それでなくても人々は自分たちから遠い存在である朝廷よりも、地域の行政を担っている武士たちを慕っています。なるほど現在は武士たちも地方地方の小集団を形成しているに過ぎません。しかしいずれはどこかの武士が中心になって大規模な組織を形成するでしょう」
「それが反乱を起こしたら朝廷はひとたまりもありませんね」
「そうです。それにそのあとが大変です」
「朝廷が滅んだあとということですね」
「有力な武士同士で戦乱を繰り広げるでしょう。そうなったらなかなか収拾がつきませんよ」
「外国から狙われるかもしれませんね」
「それが一番恐いのです」
「やはり分裂状態は避けなければなりませんね」
「だから、誰かが日本を一つにまとめておかなければならないのです。大義などはこの際どうでもいいのです。誰にでもいい顔などしていられません。憎まれ役を買う人物が必要なのです」
「藤原北家ですね」
「今はそうなっています。いや、そうさせられているのです」
「させられている?」
「先ほども言いましたが、この国の行政を実質的に担っているのは全国の武士です。しかし武士はこの国の統治者にはなれません。少なくとも現在のところは。武士たちを束ねる人間はやはり貴族でなければうまく行かないのです。それなので武士たちは貴族に土地を寄進する。それが荘園です。荘園をたくさん持っている貴族はそれだけ多くの武士の支持を受けているということです。ですから必然的に貴族は武士の支持に応えなければならない。武士の支持に応えれば武士はその貴族に仕え、警護します。応えなければ武士はその貴族から離れ、他の貴族に仕えます」
「藤原北家が栄え、他の貴族が衰えたのは、まさにそういう理由ですね」
「そうなのです。藤原北家は好き好んで他氏を排斥しているわけではない。現在の日本の状況としてはこれが最も現実的なのです。基経はそれがわかりませんでした」
「どういうことですか」
「惟喬親王の即位を反対したのは基経です。私は惟喬親王が天皇になりたいのならせてやればいいと思っていました」
「えっ! そうなのですか?」
惟喬親王はかつての業平の主人である。惟喬親王が天皇になれなかったので、業平は良房を恨んでいたのである。その業平を良房は深い目で見つめた。
「惟喬親王は紀氏の子です。紀氏はこの国の実状がわかっていない。かつてあれほど勢力を誇った武人である紀氏が、今は他の武士に圧倒されていることからも、それは明白です。そのように現実認識の甘い紀氏が朝廷を経営し、全国の武士を束ねればどういう結果になるでしょうか」
「おそらく長続きはしなかったと、今では私も思います」
「そうです。私は実際にやってもらってみんなに気づいてもらいたかったのです。それを基経は思慮が足りないから私に食い下がったのです。摂津の武士たちも私に意見してきたので、私は仕方なく惟喬親王の即位に反対したのです」
「そうだったのですか」
「藤原北家が要職を占有しているのは、そうしたいからではなくて、そうさせられているからです。武士は取り扱いが難しいですよ。基経にはその難しさがまだよくわからないのです」
「すっきりとして居心地のよい部屋でございますね」
「私は必要のないものは持たない主義ですのでね」
「私もいつかこのような生活をしてみたいです」
「私は必要なことだけをするつもりです」
「必要なことだけ?」
「荘園の廃止は理想です。しかし日本中の人々はそれを希望していないでしょう。人々が希望していないのに、朝廷の理屈で実行すれば、人心は離れます。それでなくても人々は自分たちから遠い存在である朝廷よりも、地域の行政を担っている武士たちを慕っています。なるほど現在は武士たちも地方地方の小集団を形成しているに過ぎません。しかしいずれはどこかの武士が中心になって大規模な組織を形成するでしょう」
「それが反乱を起こしたら朝廷はひとたまりもありませんね」
「そうです。それにそのあとが大変です」
「朝廷が滅んだあとということですね」
「有力な武士同士で戦乱を繰り広げるでしょう。そうなったらなかなか収拾がつきませんよ」
「外国から狙われるかもしれませんね」
「それが一番恐いのです」
「やはり分裂状態は避けなければなりませんね」
「だから、誰かが日本を一つにまとめておかなければならないのです。大義などはこの際どうでもいいのです。誰にでもいい顔などしていられません。憎まれ役を買う人物が必要なのです」
「藤原北家ですね」
「今はそうなっています。いや、そうさせられているのです」
「させられている?」
「先ほども言いましたが、この国の行政を実質的に担っているのは全国の武士です。しかし武士はこの国の統治者にはなれません。少なくとも現在のところは。武士たちを束ねる人間はやはり貴族でなければうまく行かないのです。それなので武士たちは貴族に土地を寄進する。それが荘園です。荘園をたくさん持っている貴族はそれだけ多くの武士の支持を受けているということです。ですから必然的に貴族は武士の支持に応えなければならない。武士の支持に応えれば武士はその貴族に仕え、警護します。応えなければ武士はその貴族から離れ、他の貴族に仕えます」
「藤原北家が栄え、他の貴族が衰えたのは、まさにそういう理由ですね」
「そうなのです。藤原北家は好き好んで他氏を排斥しているわけではない。現在の日本の状況としてはこれが最も現実的なのです。基経はそれがわかりませんでした」
「どういうことですか」
「惟喬親王の即位を反対したのは基経です。私は惟喬親王が天皇になりたいのならせてやればいいと思っていました」
「えっ! そうなのですか?」
惟喬親王はかつての業平の主人である。惟喬親王が天皇になれなかったので、業平は良房を恨んでいたのである。その業平を良房は深い目で見つめた。
「惟喬親王は紀氏の子です。紀氏はこの国の実状がわかっていない。かつてあれほど勢力を誇った武人である紀氏が、今は他の武士に圧倒されていることからも、それは明白です。そのように現実認識の甘い紀氏が朝廷を経営し、全国の武士を束ねればどういう結果になるでしょうか」
「おそらく長続きはしなかったと、今では私も思います」
「そうです。私は実際にやってもらってみんなに気づいてもらいたかったのです。それを基経は思慮が足りないから私に食い下がったのです。摂津の武士たちも私に意見してきたので、私は仕方なく惟喬親王の即位に反対したのです」
「そうだったのですか」
「藤原北家が要職を占有しているのは、そうしたいからではなくて、そうさせられているからです。武士は取り扱いが難しいですよ。基経にはその難しさがまだよくわからないのです」