芥川

64
牛車が家路を急いでいた。角を曲がり、門をくぐると、邸内は静かであった。
貫之は廊に立ち暗い室内をうかがった。誰もいなかった。
「貫之様」
従者が戻ってきた。
「誰もおりませんでした」
「うむ」
貫之は忠平を倣って丁寧に火を付けた。
「検非違使を呼べ」
囲炉裏で炭火が美しく周りを照らし、体がすっかり温まったころ、検非違使の役人たちが到着し、邸内を調べ回った。
「家中ずいぶん散らかっております。盗人の仕業でしょうな。お気の毒様です。貫之様はどちらへお出かけだったのでしょう?」
「東三条殿だ」
「いや、そうですか。忠平様のところへお出かけでしたか。いや、それは何ともうらやましいですな。私もそのような縁故があるといいのですが、さっぱり運が向きませんでな。どうか今度忠平様に会わせていただけませんでしょうかねえ」
貫之はなれなれしい役人を適当にあしらい、話を戻した。
「それで手がかりなどは見つかったのですか」
「いや、それが、これといったものはなさそうですね。もちろん手配はいたしますが、捕まるかどうかわかりませんな。何しろ何が取られたかも我々にはよくわからないのです。特になくなったものがあるようにも見えませんのでね。貫之様はおわかりですか」
「いや、私にもよくわからないのだ。金目のものはだいたいそろっているし、衣服の類いは、明日明るくなってから、よく見てみないことには、どうにもならないな。だいたい私は衣服の類いが普段どこにどうしまってあるか、知っているわけではありません。家人に聞かないとどうにもなりません」
「たしかにそうでしょうな。……ところで家の人たちはどこにいらっしゃるのですか。誰にもお目にかかりませんが」
「いや、それが、昨日から一家総出で、清水に参籠しているのです。私は東三条殿でどうしてもしなければならない仕事がありましたので、残っていたのですが、明日は私も合流しようと考えておりました」
「それはまたうらやましいですな。私もまた清水に行ってみたいですよ。最近は仕事が忙しくて、家族をどこへも連れていってやれないものですから、妻や子供たちが不平ばかり言って、困っておりますよ」
調査が終わってもなかなか腰を上げないで話しこんでいる役人をやっと帰らせると、従者が近づいた。
「貫之様、北の方にお伝えしましょうか」
「頼む」
「やはり帰宅するようにお話しすべきでしょうか」
「いや、予定どおり滞在すればよい。私も明日行く。特にものはなくなっていないから安心するようにと言え」
「かしこまりました」
「私が東三条殿で仕事をしているから、何か重要書類でも持っていると思って忍び込んだんだろうと言っておけ」
「かしこまりました」
「例のものは大丈夫だろうな」
従者はまっすぐ貫之を見た。
「もちろんです」
「助かったぞ」
「いえ、これぐらい何でもございません」
「それでは、行け」
「はい」
従者は深々と頭を下げて、部屋を出た。
貫之は温まった部屋で、一人床に入った。灯を落とし、眠りにつきかけたころ、障子を開ける音が、ごくかすかだが、した。貫之は半身起こして、刀を抜いた。
「私です」
武蔵だった。
「どうしたのですか?」
「ご家族が清水にお出かけになっているとうかがいましたので、お一人でお寂しいと思いまして」
「いつ来たのですか?」
「貫之様がお帰りになってすぐです」
貫之は忠平が武蔵を渡す理由を考えようとしたが、後回しにした。
貫之は廊に立ち暗い室内をうかがった。誰もいなかった。
「貫之様」
従者が戻ってきた。
「誰もおりませんでした」
「うむ」
貫之は忠平を倣って丁寧に火を付けた。
「検非違使を呼べ」
囲炉裏で炭火が美しく周りを照らし、体がすっかり温まったころ、検非違使の役人たちが到着し、邸内を調べ回った。
「家中ずいぶん散らかっております。盗人の仕業でしょうな。お気の毒様です。貫之様はどちらへお出かけだったのでしょう?」
「東三条殿だ」
「いや、そうですか。忠平様のところへお出かけでしたか。いや、それは何ともうらやましいですな。私もそのような縁故があるといいのですが、さっぱり運が向きませんでな。どうか今度忠平様に会わせていただけませんでしょうかねえ」
貫之はなれなれしい役人を適当にあしらい、話を戻した。
「それで手がかりなどは見つかったのですか」
「いや、それが、これといったものはなさそうですね。もちろん手配はいたしますが、捕まるかどうかわかりませんな。何しろ何が取られたかも我々にはよくわからないのです。特になくなったものがあるようにも見えませんのでね。貫之様はおわかりですか」
「いや、私にもよくわからないのだ。金目のものはだいたいそろっているし、衣服の類いは、明日明るくなってから、よく見てみないことには、どうにもならないな。だいたい私は衣服の類いが普段どこにどうしまってあるか、知っているわけではありません。家人に聞かないとどうにもなりません」
「たしかにそうでしょうな。……ところで家の人たちはどこにいらっしゃるのですか。誰にもお目にかかりませんが」
「いや、それが、昨日から一家総出で、清水に参籠しているのです。私は東三条殿でどうしてもしなければならない仕事がありましたので、残っていたのですが、明日は私も合流しようと考えておりました」
「それはまたうらやましいですな。私もまた清水に行ってみたいですよ。最近は仕事が忙しくて、家族をどこへも連れていってやれないものですから、妻や子供たちが不平ばかり言って、困っておりますよ」
調査が終わってもなかなか腰を上げないで話しこんでいる役人をやっと帰らせると、従者が近づいた。
「貫之様、北の方にお伝えしましょうか」
「頼む」
「やはり帰宅するようにお話しすべきでしょうか」
「いや、予定どおり滞在すればよい。私も明日行く。特にものはなくなっていないから安心するようにと言え」
「かしこまりました」
「私が東三条殿で仕事をしているから、何か重要書類でも持っていると思って忍び込んだんだろうと言っておけ」
「かしこまりました」
「例のものは大丈夫だろうな」
従者はまっすぐ貫之を見た。
「もちろんです」
「助かったぞ」
「いえ、これぐらい何でもございません」
「それでは、行け」
「はい」
従者は深々と頭を下げて、部屋を出た。
貫之は温まった部屋で、一人床に入った。灯を落とし、眠りにつきかけたころ、障子を開ける音が、ごくかすかだが、した。貫之は半身起こして、刀を抜いた。
「私です」
武蔵だった。
「どうしたのですか?」
「ご家族が清水にお出かけになっているとうかがいましたので、お一人でお寂しいと思いまして」
「いつ来たのですか?」
「貫之様がお帰りになってすぐです」
貫之は忠平が武蔵を渡す理由を考えようとしたが、後回しにした。