芥川

芥川
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 灰色の空が何日も続いていた。灰色には濃淡があり、時間帯によってそれが薄くなったり濃くなったりした。雨も降った。降ったと思うとやんだ。日が差すこともあるが、すぐに雲に閉ざされるのだった。
「業平様は阿保親王のお子様でございます」
 高子の言葉を部屋で寝転がりながら、何度も考えた。
 阿保親王は平城天皇の子である。平城天皇は嵯峨天皇に譲位した後、平城京に戻り、さらに平城京に遷都する詔勅を出したのである。しかし嵯峨天皇は賢かった。すでに側近を使って、防御策を講じていた。嵯峨天皇は平城上皇の詔勅を無効にした。平城上皇は藤原薬子と一緒に東国に落ち延びようとした。しかし嵯峨天皇が配備した軍勢を見て奈良に引き返すほかなかった。いわゆる薬子の変である。薬子という女にかき回されて、平城上皇の子孫は没落した。その代わりに嵯峨天皇の側は現在平安京で繁栄している。嵯峨天皇の側近藤原冬嗣、その子の良房、その養子の基経。薬子の変は一つの歴史の分岐点であった。勝者が逆であったならば、どうなっていたか。阿保親王が天皇になっていたことがあってもおかしくなかった。阿保親王が天皇になっていれば、その子は臣籍降下することもなかっただろう。つまり業平は親王であった。天皇になったかもしれない。しかし実際には業平は親王にも天皇にもならず、中級の貴族として、摂関家にいいように使われている。業平も現実家だから、それでよしとしている。良房存命中は、良房に従った。良房なき後は、基経と高子に従っている。基経に呼ばれたら、基経のところへ行き、用を頼まれる。高子に呼ばれたら、高子のところへ行き、用を頼まれる。世間では、業平は惟喬親王に忠実で、藤原北家にはそっぽを向いていると思われているようだが、これは高子と作り出した虚像である。この虚像があると、かえって基経、高子とよい関係を保てる。誰も警戒しないからだ。まさか業平は基経、高子と通じていないだろうと、勝手に世間が思ってくれる。しかし空しくもある。かつて一族を没落させた者に従うなんて、情けない。こっちが主人だったかもしれないのだぞと。だが、また何がどうなるかまったくわからない、とにかく細々と粘り強く力を維持していくことだ、いつかまた繁栄を迎える日が来るかもしれないのだ、と思い直してみる。
(しかし昨日の高子は困ったことを言い出したぞ。東国で乱を起こそうというのか。皇族の血筋だから私を担ごうというのか。たしかに私の祖父の平城上皇は、薬子に乗せられて、東国に移り住み、東国武士の力を借りて、新国家を樹立しようとしたかもしれない。だから高子は何度も私が阿保親王の子だと言ったのだろう。つまり平城上皇の孫だと言いたいわけだ。というと、高子は薬子か?)
 親王を担いで武士国家を樹立しようと考えるものは、この時代珍しくなかった。考えるだけでなく、実行に移した者もいた。しかし藤原北家の強力な統治力には結局及ばないのであった。
「殿、基経様からの使いの者が参りました」
「基経?」
「山崎辺りで狩りをしようと思っているそうですが、狩りの名人の殿がいらっしゃらないとつまらないとか申しております」
(昨日は高子、今日は基経か)
「すぐに参ると言え」
 業平が支度を終え、厩に行くと、馬の用意が調っていた。
「いつもながら見事だな」
「ありがたいお言葉、光栄でございます」
 業平は不快な気分を振り払うように馬を飛ばした。従者たちはやっとのことで付いてきた。
 狐だった。
 業平が馬から下りた。もう鷹が業平の腕から離れた。狐をつかんだ。戻ってきた鷹に餌をやった。
「見事な狐でございますね」
「基経様がお喜びになるでありましょう」
 業平は鷹狩りが好きだった。名人と言われていた。鷹狩りをしていると現実を忘れることができた。しかし高子のことは忘れられなかった。高子にも鷹狩りを教えた。高子は男の格好をして、よく鷹狩りに付いてきた。また二人で行きたいと思った。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 芥川
◆ 執筆年 2021年10月10日