芥川

87
澄んだ流れに魚影が走る。橋の向こうに鮮やかな色が左右に走る。
「ここからだと、よく見えませんね」
懐かしい声であった。
「お久しぶりですね」
伊勢は優しい笑顔を見せた。
「本当にお久しぶりですわね。お元気ですか」
「ええ」
貫之は微笑み返した。
「高子様のところでお働きだそうですね」
「そうなんです。弱っています」
「本当でしょうか? 楽しくて仕方ないんじゃないですか?」
伊勢は舞台に目を向けた。四人の舞姫の動きにはまったく乱れがなかった。
「穏子様の美しさは、やはり並外れていますね」
「ええ」
藤原穏子は、基経の娘だ。基経亡きあと、長男の時平がその世話をし、醍醐天皇に入内させるという噂が、世間で取り沙汰されている。
「噂は本当なのでしょうか?」
「五節の舞姫になったということは、そういうことなのでしょうね」
「宇多法皇がひどくご立腹です」
伊勢は宇多法皇に言われたことを話した。だんだん話に夢中になるうち、話し方まで宇多法皇に似ていくのだった。
私は、基経が死んだあと、やっと親政を行うことができた。それまで大変な苦労をしてきたのである。息子の醍醐天皇にもそのことは強く言い聞かせてきた。藤原北家は、こちらの隙を突いて、また関白になろうとするだろう。阿衡事件を忘れるな。阿衡事件のときは、大変だった。私は、基経を関白にはしたくなかった。自分で政治をしたかったのである。だから、関白ではなく、阿衡ではどうだと、臣下に言わせた。阿衡は政務を実際には執らない役職なのである。これをうまく言わせようとしたら、臣下は失敗した。実際には仕事がない職務であることを、ほのめかしてしまったのである。基経は怒った。怒って、自邸に籠もり、参内しなくなった。基経がいないと、何一つ仕事がはかどらなかった。重臣たちの多くは、基経の自邸に行くようになった。基経の家で、政策運営が行われるようになり、どちらが宮中なのかわからなくなった。これにはどうしようもなかった。私は折れた。基経に関白を引き受けてもらうよう、頭を下げた。この屈辱は死んでも忘れることができない。基経が死ぬと、子どもたちは、まだ若年であり、長男の時平は小物であった。私が頼みにする道真に逆らえるものは、多くはなかった。道真と協力して、親政体制を構築した。宇多、醍醐と、藤原北家以外の天皇が二代続いたのである。やっと政権が藤原北家の影響下から抜け出せそうになってきたのである。これまでの苦労を無にするな。息子もそのことは十分にわかっているはずである。それなのに、なぜ基経の娘を入内させるつもりなのか。たしかに息子と同じ歳の穏子は、評判の美人だ。仁和元年生まれだから、箸が転んでもおかしい年頃の十七だ。息子が小さな頃から、密かに好意を抱いていたということは知っていた。しかし、そんな心の弱みを時平ごとき小物に握られてどうするのだ。いや、時平はいい。彼は情に流される性格である。私が恐れているのは忠平だ。若年ながら、忠平は心が定まっている。良房や基経に一番似ている。忠平はいつか氏の長者になるだろう。今はまだ、時平もおり、仲平もおり、自分を出さないようにいつも気を遣っている。しかし、もう少したてば、きっと動き出すに違いない。醍醐はいずれ忠平と対決せねばなるまい。それまで、いろいろな準備をしなければならないのだ。それには、道真の力が必要だ。それなのに、息子は、もう藤原北家に懐柔されようとしている。穏子などどうでもよいではないか。いずれ藤原北家以外の諸氏からのたくさんの美姫で後宮があふれる。そのときには穏子のことなどどうでもよくなっているはずだ。穏子入内を何としても阻止するために、伊勢は貫之殿から良房の日記を受け取るのだ。
「このように仰っていました」
伊勢の目は四人の舞姫から一度も離れなかった。穏子は軽やかに舞っていた。
「ここからだと、よく見えませんね」
懐かしい声であった。
「お久しぶりですね」
伊勢は優しい笑顔を見せた。
「本当にお久しぶりですわね。お元気ですか」
「ええ」
貫之は微笑み返した。
「高子様のところでお働きだそうですね」
「そうなんです。弱っています」
「本当でしょうか? 楽しくて仕方ないんじゃないですか?」
伊勢は舞台に目を向けた。四人の舞姫の動きにはまったく乱れがなかった。
「穏子様の美しさは、やはり並外れていますね」
「ええ」
藤原穏子は、基経の娘だ。基経亡きあと、長男の時平がその世話をし、醍醐天皇に入内させるという噂が、世間で取り沙汰されている。
「噂は本当なのでしょうか?」
「五節の舞姫になったということは、そういうことなのでしょうね」
「宇多法皇がひどくご立腹です」
伊勢は宇多法皇に言われたことを話した。だんだん話に夢中になるうち、話し方まで宇多法皇に似ていくのだった。
私は、基経が死んだあと、やっと親政を行うことができた。それまで大変な苦労をしてきたのである。息子の醍醐天皇にもそのことは強く言い聞かせてきた。藤原北家は、こちらの隙を突いて、また関白になろうとするだろう。阿衡事件を忘れるな。阿衡事件のときは、大変だった。私は、基経を関白にはしたくなかった。自分で政治をしたかったのである。だから、関白ではなく、阿衡ではどうだと、臣下に言わせた。阿衡は政務を実際には執らない役職なのである。これをうまく言わせようとしたら、臣下は失敗した。実際には仕事がない職務であることを、ほのめかしてしまったのである。基経は怒った。怒って、自邸に籠もり、参内しなくなった。基経がいないと、何一つ仕事がはかどらなかった。重臣たちの多くは、基経の自邸に行くようになった。基経の家で、政策運営が行われるようになり、どちらが宮中なのかわからなくなった。これにはどうしようもなかった。私は折れた。基経に関白を引き受けてもらうよう、頭を下げた。この屈辱は死んでも忘れることができない。基経が死ぬと、子どもたちは、まだ若年であり、長男の時平は小物であった。私が頼みにする道真に逆らえるものは、多くはなかった。道真と協力して、親政体制を構築した。宇多、醍醐と、藤原北家以外の天皇が二代続いたのである。やっと政権が藤原北家の影響下から抜け出せそうになってきたのである。これまでの苦労を無にするな。息子もそのことは十分にわかっているはずである。それなのに、なぜ基経の娘を入内させるつもりなのか。たしかに息子と同じ歳の穏子は、評判の美人だ。仁和元年生まれだから、箸が転んでもおかしい年頃の十七だ。息子が小さな頃から、密かに好意を抱いていたということは知っていた。しかし、そんな心の弱みを時平ごとき小物に握られてどうするのだ。いや、時平はいい。彼は情に流される性格である。私が恐れているのは忠平だ。若年ながら、忠平は心が定まっている。良房や基経に一番似ている。忠平はいつか氏の長者になるだろう。今はまだ、時平もおり、仲平もおり、自分を出さないようにいつも気を遣っている。しかし、もう少したてば、きっと動き出すに違いない。醍醐はいずれ忠平と対決せねばなるまい。それまで、いろいろな準備をしなければならないのだ。それには、道真の力が必要だ。それなのに、息子は、もう藤原北家に懐柔されようとしている。穏子などどうでもよいではないか。いずれ藤原北家以外の諸氏からのたくさんの美姫で後宮があふれる。そのときには穏子のことなどどうでもよくなっているはずだ。穏子入内を何としても阻止するために、伊勢は貫之殿から良房の日記を受け取るのだ。
「このように仰っていました」
伊勢の目は四人の舞姫から一度も離れなかった。穏子は軽やかに舞っていた。