芥川

100
世の中はすっかり変わってしまった。知っている人々も少なくなった。私は長生きをした。よくも長く生きられたものだ。おそらくどうしても書かなければならないことがあったからだろう。しかし、いつまでも生きていることはできない。書き終わらないものは、誰かに託すしかないのだが、いったい誰に託すことができるだろうか。
式部はいったん日記から顔を上げた。文机にはいつの間にか飲み物が置いてある。式部は井戸で冷やしたと思われる冷たい飲み物を干した。式部は興奮していた。
今、さっと眺めた限りでも、得がたい資料であることが分かった。『古今和歌集』を編纂する様子、貫之と伊勢との関係、物語のための覚え書き。どれも自分が知りたいことであり、また、光源氏の物語執筆に役立つことばかりだ。東三条院の意図がわかり、感謝した。しかし、東三条院は、もっと重大なことがこの日記にあると言っていた。いったいそれは何だろう? それはともかく、式部が一番興味を持ったのは、物語のための覚え書きだ。
二人は商人たちの声で朝目覚める。
女は恥ずかしがる
これだけでも式部には着想を得るのに十分だった。そうだ、こういう庶民の日常生活風景も描いてみよう。それにしてもこれは、身寄りのない中級階級の女が急死する話に使えそうな表現だ。こういうのがもっとないだろうか?
式部は日記をあちこち見てみた。覚え書き自体は、この日記にはなさそうだった。
(詮子様にお願いすれば、読ませていただけるかもしれない。しかし、それには、まずこの日記を読まなければ)
式部は落ち着いて、日記の最初から、丹念に読み込んでいった。
それは日記というよりは、記録だった。
最初は『古今和歌集』、次は『伊勢物語』、最後は『土佐日記』についての記録だった。
『古今和歌集』は宇多上皇が貫之に命じたが、醍醐天皇の手柄になるように、醍醐天皇の勅命という形を取った。また、まだ宮中では和歌を編纂する部署が設けられていなかったので、上皇は藤原忠平に私邸を提供するように命じた。さらに上皇は、愛妾の伊勢に命じ、貫之に協力させた。実は上皇は、菅原道真に政権を掌握させ、忠平や貫之に補佐させる計画を持っていた。彼らは機が熟すのを待っていた。ところが、忠平邸で仕事をしている貫之が、藤原良房の日記を見つけたことが、事態の進行をゆがめた。
良房の日記には、妻の潔姫が、兄の長良と密通し、その結果生まれたのが明子であることが書かれていた。それだけではない。良房はその明子に子どもを産ませた。それが清和天皇である。まだある。良房は、兄の長良の娘である高子にも子どもを産ませた。それが陽成天皇である。明子が物の怪に取り憑かれるようになったのも、陽成天皇に奇行が見られるようになったのも、このことが原因ではないかと貫之は分析している。これが公になると、現時点で政権を掌握している藤原時平には、決定的な打撃になる。もちろん、時平の弟の忠平にも大きな打撃である。貫之はこの日記を宇多上皇や菅原道真に渡すこともできた。しかし、それはせずに、忠平に渡した。なぜなら、上皇と道真は武士の基盤である荘園を廃止しようと考えていたからである。急に荘園を廃止すれば、全国の武士が反乱を起こして、収拾がつかなくなる。それよりは、現実的な藤原北家に政権運営を任せた方がよいと考えたのである。
良房の日記を渡した貫之は、これで一件落着というわけではなかった。忠平は、貫之がきっと写しを持っているだろうと思い、命を狙った。確かに貫之は写しを作っていた。そして、自分が殺されたら、公表されるように仕組んでおいた。忠平もそれを考慮していたので、下手に手をだすことができなかった。
同じ時期に、在原業平の孫娘が良房の秘密を物語にして、世間に広めようとしていた。
式部は飲み物を何回も飲み干した。
式部はいったん日記から顔を上げた。文机にはいつの間にか飲み物が置いてある。式部は井戸で冷やしたと思われる冷たい飲み物を干した。式部は興奮していた。
今、さっと眺めた限りでも、得がたい資料であることが分かった。『古今和歌集』を編纂する様子、貫之と伊勢との関係、物語のための覚え書き。どれも自分が知りたいことであり、また、光源氏の物語執筆に役立つことばかりだ。東三条院の意図がわかり、感謝した。しかし、東三条院は、もっと重大なことがこの日記にあると言っていた。いったいそれは何だろう? それはともかく、式部が一番興味を持ったのは、物語のための覚え書きだ。
二人は商人たちの声で朝目覚める。
女は恥ずかしがる
これだけでも式部には着想を得るのに十分だった。そうだ、こういう庶民の日常生活風景も描いてみよう。それにしてもこれは、身寄りのない中級階級の女が急死する話に使えそうな表現だ。こういうのがもっとないだろうか?
式部は日記をあちこち見てみた。覚え書き自体は、この日記にはなさそうだった。
(詮子様にお願いすれば、読ませていただけるかもしれない。しかし、それには、まずこの日記を読まなければ)
式部は落ち着いて、日記の最初から、丹念に読み込んでいった。
それは日記というよりは、記録だった。
最初は『古今和歌集』、次は『伊勢物語』、最後は『土佐日記』についての記録だった。
『古今和歌集』は宇多上皇が貫之に命じたが、醍醐天皇の手柄になるように、醍醐天皇の勅命という形を取った。また、まだ宮中では和歌を編纂する部署が設けられていなかったので、上皇は藤原忠平に私邸を提供するように命じた。さらに上皇は、愛妾の伊勢に命じ、貫之に協力させた。実は上皇は、菅原道真に政権を掌握させ、忠平や貫之に補佐させる計画を持っていた。彼らは機が熟すのを待っていた。ところが、忠平邸で仕事をしている貫之が、藤原良房の日記を見つけたことが、事態の進行をゆがめた。
良房の日記には、妻の潔姫が、兄の長良と密通し、その結果生まれたのが明子であることが書かれていた。それだけではない。良房はその明子に子どもを産ませた。それが清和天皇である。まだある。良房は、兄の長良の娘である高子にも子どもを産ませた。それが陽成天皇である。明子が物の怪に取り憑かれるようになったのも、陽成天皇に奇行が見られるようになったのも、このことが原因ではないかと貫之は分析している。これが公になると、現時点で政権を掌握している藤原時平には、決定的な打撃になる。もちろん、時平の弟の忠平にも大きな打撃である。貫之はこの日記を宇多上皇や菅原道真に渡すこともできた。しかし、それはせずに、忠平に渡した。なぜなら、上皇と道真は武士の基盤である荘園を廃止しようと考えていたからである。急に荘園を廃止すれば、全国の武士が反乱を起こして、収拾がつかなくなる。それよりは、現実的な藤原北家に政権運営を任せた方がよいと考えたのである。
良房の日記を渡した貫之は、これで一件落着というわけではなかった。忠平は、貫之がきっと写しを持っているだろうと思い、命を狙った。確かに貫之は写しを作っていた。そして、自分が殺されたら、公表されるように仕組んでおいた。忠平もそれを考慮していたので、下手に手をだすことができなかった。
同じ時期に、在原業平の孫娘が良房の秘密を物語にして、世間に広めようとしていた。
式部は飲み物を何回も飲み干した。