芥川

芥川
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 御簾からの涼しい風に体が冷えてきたが、式部は気にしなかった。
 貫之の日記は、まだまだ続いていた。式部は終わるまで、読むのをやめられなかった。

 私(貫之)は、滋幹の母(業平の孫娘)の話を一心に聞いていた。
 有常(業平の妻の父)は業平に秘めた思いを伝えた。それは、いつか藤原北家を打倒し、在原氏と紀氏の政権を樹立するということだった。そのために、藤原北家のこれまでの陰謀を記録し、また、藤原北家の秘密を探り続ける。それは、きっと藤原北家の土台を揺り動かすもととなるだろう。また、同時に藤原政治の枠組みを骨抜きにする必要がある。藤原政治の枠組みは、娘を天皇に入内させ、その子を天皇にすることによって、外戚として権力を振るうということである。そして、そうやって天皇の権力を抑えることによって、私有財産である荘園を無制限に拡大し、荘園を寄進する地方の有力者(武士)との間に協力関係を構築し、自分たち氏族と敵対関係にある士族を、武士たちに圧迫させる。天皇が力を失ったのは、女のためであり、藤原北家以外の氏族が力を失ったのは、武士のためである。女と武士を藤原北家から抜き取るよい方法がないだろうか。
 業平は首をかしげる有常に名案を示すことはできなかった。しかし、業平も有常と思いは同じだった。いや、藤原北家以外の氏族であれば、皆同じ思いであっただろう。業平は有常に協力すると言った。藤原北家の陰謀を記録し続け、これからも探り続けると言った。藤原北家の政治体制を骨抜きにするにはどうしたらよいか、考えていくと言った。有常は業平に言い聞かせた。この在原氏と紀氏の密約を誰にも知られてはならない。たとえ妻や子や孫であっても、この秘密を守れ、この計画を実行し得る者でなければ、このことは決して漏らしてはならない。これは、うまくいっても、百年か二百年、あるいは数百年もかかる計画である。その間、在原氏と紀氏がどれほど変わっていったとしても、決して途絶えることなく、貫き通す信念が必要である。業平は力強く承認し、二人は、契約の書状を作成した。二人は、この望みを遂げるまでに、藤原北家によって両家が完全に滅亡させられることがないよう、藤原北家には逆らわず、むしろ、協力することを決定した。
 業平は良房に協力し、高子に協力した。良房は業平を信頼し、高子は業平を愛した。良房は死んだ。良房の養子の基経が後を継いだ。基経は妹の高子を邪魔にした。そこで高子は、独自に自分の血脈を繁栄させる手立てを考えた。これは、高子が良房から命じられたことでもあった。良房は、摂関政治という政治体制では、日本はいつまでも存続できないと考えていた。いつまでも武士たちは、貴族に従属することに甘んじていないと考えていたのだ。いつか武士は日本を支配する。その時には、武士の棟梁が必要になる。その武士の棟梁を藤原北家の血を受け継いだ者にするというのが、良房の考えだった。良房はこの計画を高子に託した。高子が産んだ清和天皇の子を天皇にする。天皇にならなかった皇子は臣籍降下させ、源氏にする。天皇になった子の子は、天皇にできれば理想的だが、基経の時代になれば、実現困難であろう。しかし、源氏を次々に作ることはできるであろう。さて、源氏になったたくさんの高子の子や孫は、東国各国の国司にして、その一帯の武士勢力を次第に束ねていく。そのためには、高子が東国に荘園をたくさん持っておく必要がある。高子は、多くの男たちと親密になり、東国で荘園を寄進したい者がいるという話を持ち掛けた。男たちの多くはそれを歓迎した。それらの地域に、長年にわたり、高子は子や孫の源氏を送り込んだ。高子が親密になった男の中の一人が業平である。業平も高子の子や孫の源氏の協力者となるように、子や孫をたくさん東国に送り込んだ。その中のだれかが、いづれ武士政権を樹立することを期待したのである。

(東国に源氏が多いのは、二条后様の仕組んだことだったとは!)
 式部はこの世がいつか高子源氏のものになるという不思議な空想を巡らした。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 芥川
◆ 執筆年 2021年10月10日